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心揺さぶる公共広告機構

 11日の東日本大地震を受け、スポンサー各社はCMを自粛、公共広告機構(AC)のCMに差し替えるなどの対応を取っている。一方、ACのCMが立て続けに放映されていることや震災にそぐわない内容を含んでいるとして、批判が高まっている。しかし、CMのなかには、考え方や生き方を見つめ直させるものもある。

 「里山のばっさまに学ぶ」というCMがある。

「畑をおこしゃ、ぎょうさん、みみずが出てくるし、葉っぱも虫が食うわいな」

「けど、ちゃんとツバメが食ってくれるんやでなぁ。糞して、土が肥える。えぇ野菜ができる」

「そういう自然からおらたち人間は、いのちをいただいとります」(公共広告機構ホームページより)

 われわれは動物や植物の生命を奪うことによって生きている。給食費を払っているのだから、子どもに「いただきます」といわせないでほしい、合掌して「いただきます」は憲法に反するという保護者がいるそうだが、けだし「いただきます」には3つの意味がある。(1)稼いだ父親や調理した母親などの食べさせてくれる人(2)丹誠込めて作った生産者(3)犠牲になった動植物への感謝である。

 近年、日本の調査捕鯨に対する国際的批判の高まりが指摘されるが、日本人は元来、鯨を余すところなく、いただいてきた。たとえひと切れとはいえ、ムダにすることは犠牲になる生物に申し訳ないと考えられたのである。われわれは自然から「いのちをいただいて」こそ生きられると考えれば、素直に「いただきます」といえるだろう。
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三宅久之、金美齢、 勝谷誠彦氏のトークショーを聴いて

 政治評論家の三宅久之氏、評論家の金美齢氏、コラムニストの勝谷誠彦氏が18日、名古屋市の愛知県芸術劇場で教育をテーマにトークショーを行った。パネルディスカッションということであったが、三氏の意見が概ね一致していること、三氏とも話したいことを好き勝手に話すこと、何より私の筆致が至らないために、要領を得ない箇所が多々あることをお詫びする。

 ■現代の教育の問題点

 三宅氏は教育の問題は心の荒廃にあるとしながらも、11日に発生した東日本大地震で、親が子を、子が親を捜す姿に家族愛や絆がみられた。また、避難所で配られる配給が女性や子ども、お年寄りといった力の弱いものにまで行き渡ることは外国では考えられない。戦後の日教組教育に憂えていたが、一安心した。

 金氏も東日本大地震に触れ、非常時に日本人のDNAは活性化される。だが、平時は「暖衣飽食」に甘んじ、眠ったまま。問題は教育にあるとし、教育の悪平等と減点主義を批判した。戦後の教育改革で、エリート養成学校であった旧制中学を廃止したことにより、すべての生徒が画一的な教育を受けることになる。たが、学力が高い生徒は退屈に、低い生徒は消化不良に陥る。こうした悪平等を解消するには、学力によるクラス分けを義務教育に導入する必要がある。また、減点主義を採る日本の教育では、突出した能力を持つ生徒の成長を妨げる。生徒の秘める「何か」を引き出すためには加点主義を採用すべきと主張した。

 続いて勝谷氏が「今日は小学生がたくさんいるんだって?」と尋ねたため、進行役の東海テレビアナウンサー・松井美智子さんが会場に「お子さまは手を挙げてもらえますか?」と問いかける。すると、すかさず「お子さまという呼称はやめて」「お子さまとか、患者さまとかいうのはおかしい」とチクリ。17日放送のテレビ朝日系列「報道ステーション」がトップニュースで計画停電を取り上げ、テレビを視聴できない首都圏の子どもの様子を報じたことについて、被災した東北の子どもたちが餓死や凍死の危機に瀕しているなか、何を報道しているのか。「あいつの顔を見ているだけで、被災地は不幸になる」とまくし立てた。

 ■変わりゆく教育

 三宅氏の学生時代は、大東亜戦争の最中にあり、授業よりも空腹に耐えかねる時代だった。そうした時代に行われていた「詰め込み教育」に三宅氏は賛同する。小学校の低学年は「詰め込み教育」に徹するべきとして、「ゆとり教育」の導入を推奨した元文部科学官僚・寺脇研氏を「国賊」と罵った。また、日教組の集会で、教員が「小学校6年にもなって、九九ができないのは困ったもんだ」と述べたことを挙げ、教師の怠慢と一刀両断。「九九ができないということは、まともな社会生活が営めない」ということであると警鐘を鳴らしたうえで、「中東にでもどこでも行ってごらんなさい。商店に行っても、タクシーに乗っても、おつりが過不足なく返ってくるのは日本だけ」であると誇った。

 金氏の時代はみなが公立に通う時代。1学年は7クラスから8クラスで、ふつうの子から不良までいる、いわば社会の縮図であった。そうした学校は「おもしろかった」と金氏はいう。

 勝谷氏はATMでの携帯電話の使用禁止やエスカレーター付近で転倒防止を呼びかけるアナウンスを例に、「この国は『バカ基準』でできている」「そんなやつは自然淘汰されればよい」と斬った。また、社会問題となっている大学生の就職難について、本来なら行くに値しない学生が進学した結果。いま、残っているのはF大学の学生ばかり。大学は行かなければならない人だけ行けばよい。中学や高校を卒業して途を決めた「石川遼くんや田中マーくん(将大)は評価されるのに、スポーツ以外は評価されない」と憤った。進学する必要のない生徒を高校に送り込む民主党の高校無償化を批判した。

 ■社会主義教育の弊害

 三宅氏は小学4年生まで北九州市で過ごしていたが、父親の転勤にともない、東京に転校。当時、都内の中学生のほとんどが都立高校へ進学していたが、美濃部達吉氏が都知事に就くと、状況は一変。高校受験に学校群が設けられ、群外へは自由に進学できなくなる。これにより、日比谷高校などの都立は続落。群外の生徒は有名な私立高へと進むことになる。教育に社会主義は持ち込むべきでない。また、先生と生徒は対等であるとして、教壇を廃止する動きがあることについて、「教えるものと教わるものが対等であるわけがない」。友だち同士のような親子関係を構築する「友だち親子」に対しても、「息子は(三宅氏に対し)『親父』とはいいますけどね、敬語を使わなかったら、怒鳴りますよ」と批判した。

 金氏は自身の子どもが音楽家や画家になるような才能がないことを悟ると、「ふつうに勉強して、ふつうに就職」するよう指導。しかし、「実はこれが意外と難しい」と語る。すると、三宅氏が「金さんの息子はエリート商社マンで、娘は某テレビ局のプロデューサー。謙遜している」と口をはさむ。しかし、金氏は「面接に強いだけ。(自分の子どもが)大人への敬意を知っていたのはたしかで、それが面接官に伝わった」と釈明。また、現代の教育を過保護と指摘し、「過保護では生命力が育たない」と憂慮した。

 これに関し、三宅氏は児童の権利条約を取り上げ、もともとは人身売買や売春、少年兵になることを防止する条約であったはずが、子どもには権利があるという方向に変っていったと同調。同条約は「子どもをスポイルする」と述べた。東京都国立市の市立小学校の卒業式で、日の丸を掲揚したのが生徒の良心を傷つけたとして、校長が生徒に土下座。だが、先生や親が吹き込まない限り、小学生が国旗に反発するはずない。途上国では、独立の象徴として、国旗を作り、そのもとで国歌を唄う。国立市のようなことは土人の国でもない。公立が日教組に支配されている状況を勘案すると、「私立の方がよい」と思わざるをえない。都立国立高校出身の三宅氏は、同市が住民基本台帳ネットワークへの参加を拒否するなど問題を引き起こすたびに、「肩身の狭い思いがする」と嘆いた。また、寺子屋についても言及。長男には親から受け継ぐ田畑があるが、次男以下には何もない。丁稚奉公し、商人として立身出世するのが次男、三男の憧れであった。そうした子どもに勉強の機会を与えたのが寺子屋だ。その結果、当時の知識階級であった武士を除く男子の70%、女子でも15%が文字を読むことができた。左翼は江戸時代を「民衆が武士に押さえつけられた時代」と捉えているが、そのようなことはない。

 ■教育・勉強・学校とは

 勝谷氏は「厳しい学校と規律ある学校は違う。厳しい学校に行くと、嫌な思い出が残るだけ」。規律ある学校は、独立自尊を尊び、やってよいことと悪いことの選別をつけさせるという。来場した小学生らに「規律ある学校」へ行くよう呼びかけた。

 三宅氏は世間のいう「いい学校」を「いい友だちと巡り会える学校」と再定義。よき友に出会うことができるかがその後の人生に大きな影響を与える。

 金氏は人はみな平等としながらも、親は保護する側、子どもは保護される側。先生は保護する側、子どもは保護される側で、役割に違いがある。平等と役割の違いをしっかりと区別するべき。また、かつて父兄に「『なぜ勉強しなければいけないのか?』と子どもに尋ねられたとき、親はどう答えるべきか」と相談された。勉強しなければならない理由は百も千もあるが、勉強しなくてよい理由はひとつもない。勉強とは、ハードウェアにソフトウェアを入れる営為で、質のよいソフトをたくさん入れることにより、入力した際、正確な答えをはじき出す。古今東西、人類が積み重ねた遺産を学べば、すべて自分のものになる。先人が汗と涙と、ときには血を流して、培ったものであり、勉強というプロセスを踏むだけで、無尽蔵な財産を得ることができる。「明日、地球が滅びるかもしれないから、勉強しない」という子どもの言い訳に対しても、いつ、有事になるかわからない台湾に過ごした経験から「明日、地球が滅びようとも、今日、りんごの木を植える」ように、一日一日をきちんと過ごすことが大切と説いた。

 勝谷氏の座右の銘は、ソクラテスの「ただ生きるな、よく生きよ」だという。そのためには、本やマンガを読め。「ただ生きる」だけのテレビやウォークマン、ゲームは国民の財産にならないもので、GDP(国内総生産)に加えるべきでない。テレビはニュースと読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」、それにときどきテレビ朝日系列「ビートたけしのTVタックル」だけでよい。葬儀屋とサラ金から提供を受ける日本テレビ系列「スッキリ!!」は観るな。観たらアホになる、と自らも出演する番組を罵倒。一方、漫画の価値は認め、日本人を「表音文字と表意文字を同時に理解できる民族」とした。

 三宅氏は漫画に反対。最近では、『聖書』から『共産党宣言』まで漫画化されているそうだが、活字を読め。読んだら全部肥やしになる。また、自身と勝谷氏を念頭に「昔から記者、芸者易者は信じるな、といわれている」と自嘲した。

「仰げば尊し」回避にみる日教組の傲慢

 公立の小中学校ではちょうど卒業式を迎える頃だろうか。卒業式といえば、定番の歌ともいえる「仰げば尊し」が思い起こされるが、この歌は今年も多くの卒業生の感涙を誘うことだろう。

 明治17(1884)年発行の『小学唱歌集』に収録されて以来、「仰げば尊し」は作詞作曲とも長く謎とされてき、起源はスコットランド民謡だ、いや賛美歌だ、などと推測されてきた。しかし今年1月、一橋大名誉教授の桜井雅人さんによって原曲とみられる米国の歌の楽譜が発見された。直訳の曲名も「学校教育の終わりのための歌」というから、もともと卒業の歌だったわけである(1月25日付本紙=大阪発行)。

 ◆2番を避ける理由

 「仰げば尊し」は3番まであり、それぞれの歌い出しを紹介すれば1番が「仰げば尊し わが師の恩」、2番が「互いに睦(むつ)みし 日頃の恩」、そして3番が「朝夕なれにし まなびの庭」となっており、いずれも「今こそわかれめ いざ さらば」で結ばれる。簡潔な文語調の詞には気高い精神がうたいあげられている。

 さて問題は、この2番の歌詞である。学校の音楽教科書などでは2番が省かれることが多く、ちなみに手に取った小学校の音楽教科書(6年用)3点はみな、1番と3番を載せるのみである。

 2番を避けるのは、そこに出てくる「身を立て名をあげ」の詞が「立身出世」を奨励するかのようにとらえられるから-というのが、どうやら通説であるらしい。「かけっこは、みんなで一緒にゴールイン」「先生と生徒は友達関係」といった教育現場の変な平等主義をここにも垣間見るような気がしてならない。

 よしんば、この詞がいわゆる立身出世の勧めであるとしても、将来に大きな夢を描く子供たちが立身出世を願ってどこが悪いのか、全く理解に苦しむ。なにも、「心も金で買える」と言ってのけた起業家のような金満家になれというのではない。若者らしく雄飛せよ、社会を動かすほどの優れたリーダーを目指せと教えることの、いったいどこが悪いのか…。

 ◆「身を立て」は親孝行

 実はこの詞の本当の意味は、いわゆる立身出世とは全く違ったところにある。『小学唱歌集』の編纂(へんさん)に大きく貢献した伊沢修二は『洋楽事始』を著したが、同書(平凡社東洋文庫)の解説で校注者の山住正己が「仰げば尊し」の成立経緯を詳細に記している。

 それによれば原案は「身をたて名をたて」だったが、「庭の千草」の作詞で知られる里見義(ただし)が『孝経』の「立身行道挙名後世」を引きながら、「身をたて名をあげ」に訂正すべきだと言い、それが採用されたというのである。

 講談社学術文庫『孝経』(加地伸行訳注)に当たってみたところ、この一節は世間で言う立身出世の意ではなく、「りっぱな人という評判を得、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる」として親孝行を説いたものであるとの由。加えて「身を立て」とは「身を孝に立つ」ことだとも注されている。

 同じ中国の『詩経』にも「爾(なんじ)の所生(しょせい)(親)を忝(はずかし)むることなかれ」と、父母の名を貶(おとし)めることのないよう戒める詞章がある。日本では江戸時代、身を修める教科書として『論語』や『孝経』、『詩経』が盛んに読まれ、明治期でも知識人は、それら中国の書物によって教養と精神を高めたのだった。「身を立て名をあげ」の意味は当時なら、多くの人に正しく理解されたのではなかろうか。

 ◆復活させた教科書も

 「仰げば尊し」はこのように、1番で「師の恩」を、2番で「親への孝行」をうたうという構成になっている。それにもかかわらず、現行の教科書が「立身出世」への誤解から2番を抜いているとしたら残念至極だが、ただ、この4月から使用される新改訂の教科書では2番を復活させたものも登場した。朗報といえよう。

 もちろん復活といっても、「仰げば尊し」そのものが歌われないことには何の意味もない。1月に開かれた日教組の教研集会では、ある小学教師がこの歌を歌わせないよう根回ししたとの報告があり、「『君が代』『仰げば尊し』の強制は子供たちのためになっているのか」と強調したそうだ。

 教員の私的な思いを子供らに押しつける教育で、そんな発言に対して仮に他の教師から何の反論も起きなかったのであれば、教研集会は異常というほかない。

 それにしてもこの春は、卒業式どころではないであろう東日本大震災の被災地の惨状が脳裏を離れない。ふと口ずさんでみる「仰げば尊し」も、静かな旋律が哀調をかきたてるように胸に重く響いてきて、何とも切ない。(せこぐち さとし)(20日付産経新聞「【土・日曜日に書く】論説委員・清湖口敏 仰げば尊し『父母の恩』」)


 みなさんは卒業式で何を唄われただろうか。私の記憶をたどれば、「門出の歌」「大地讃頌」「旅立ちの日に」「仰げば尊し」……。しかし、「仰げば尊し」はたいてい2番を省かれた。産経新聞論説委員の清湖口敏氏は20日付の産経新聞で、教育学者の故山住正己氏の言説を引き、2番を親孝行の詩と解説しているが、1、3番の構成や2番の歌詞が「名をあげ」「やよ励めよ」となっていることなどから、従来通り、「立身出世」と解釈することが可能であり、妥当であると思われる。

 ともかく、削除された理由を知ったのは数年前。意味がわからぬまま唄わされていた「仰げば尊し」に胸を打たれたのを覚えている。と同時に、日本教職員組合(日教組)がこれを嫌うわけもわかった。日教組は人はみな平等であるという理念のもと、教師を仰ぐ対象とはしない(しかしながら、仰がれることを厭う教師にいまだかつて出会ったことがない)。仰ぐような詩はダメなのだ。それゆえ、卒業式で「仰げば尊し」を回避し、「旅立ちの日に」を唄う学校が増えている。だが、卒業式は友人とともに、両親や教師に感謝し、自らの卒業を祝ってもらうイベントである。すべてをそろえる楽曲は「仰げば尊し」をおいてほかにない。

己の危険を顧みず、日本人の救済に当たる外国人

 米海軍は宮城県沖で空母「ロナルド・レーガン」を中心に支援活動を行っているが、14日にヘリコプターで物資を被災地に運搬した兵士17人が被曝したのに続き、15日も被曝する兵士が出た。米海軍は被曝の危険性を避けるため、宮城県沖に向かっていた揚陸艦エセックスなど3隻の行き先を日本海側に変更。放射性物質という「見えない敵」は、米軍の支援活動の妨げになっている。(14日付世界日報「放射能の恐怖、米にも波及―ヨウ素剤の購入殺到」より)


 東日本大震災の救援に当たっているアメリカ軍の兵士らが14日、支援物資を被災地に運搬している最中に被曝したのに続いて、15日にも別の兵士らが被爆していたことがわかった。また、同じく救助に当たっていたオーストラリアの救助隊員2名も16日、被爆していたことがわかっている。

 己の危険を顧みず、外国人の救済に当たる――なかなかできないことである。彼らに敬意を表するとともに、心から感謝している。

ありがとう、台湾

 フェイスブックの1枚の写真からすべてが始まった。あの悪夢から4時間後、台湾時間の11日17時半、被害の様子が少しずつ明らかになったとき、台湾のある若者が青いペンを取り、自分の手のひらにこう書いた。

 「日本の平安を祈ります」

 彼はそれを写真に収め、フェイスブックで呼びかけた。「日本のために祈りを捧げたい人へ。今日から、青いマニキュアを塗るか、青いブレスレットを付けるか、あるいは、青いペンで手のひらに『日本の平安を祈ります(祈祷日本平安)』と書くかして、私たちの気持ちを届けよう。日本語と中国語、どちらでもかまいません」

 「手のひらの祈り」が見る見るうちに集まった。「絆」は見知らぬ人の手で次から次へとつながって行く。そして、その絆はいま、ユーチューブを通じて日本へ。震災後の2日間ですでに8万5千人がその絆を受け取った。(14日付大紀元「『手のひらの祈り』 震災後の日本に捧げる=台湾」)

youtubeからスクリーンショット


 台湾では日本が東日本大震災に見舞われた11日から、手のひらに日本を表す青色で、「日本の平安を祈ります」と記す運動が活発になっているという。

 また、待機を続けていた台湾の捜索救助隊28人が14日、日本政府の要請を受け、東京に向けて出発、夕方に到着した。台湾からはすでに義援金・2億8000万円と防寒具や食糧などの救援物資の提供を受けている。

 台風、口蹄疫、地震のたびにいただく物心両面からのご支援に心から感謝申し上げたい。
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 また、日ごろ綴っております鄙見に対しましても、みなさまより分を越えた「ブログ拍手」をいただいておりますことをありがたく存じております。「ブログ拍手」という性質上、おひとりおひとりに謝意を表することは叶いませんが、いただいた一拍手一拍手の積み重ねをご高評のバロメーターとさせていただくことにより、日々指針に反省と修正を加えております。欠礼をご容赦願うとともに、厚く御礼申し上げます。

プロフィール

オーデーベース

Author:オーデーベース
 顔と名前をお見せするその日のために、鄙見を認(したた)めてまいります。市政か、県政か、あるいは国政かわかりませんが、愛する日本と故郷のために勇往邁進することをお誓い申し上げます。

 人ひとりにできることは限られております。あるいは遺産も功績も何ら残せずに終えてしまうかもしれません。ただ、あのころの先人はよくやったと後世に云われたとき、その十把一絡げにされた先人のひとりにでもなれたのなら、それは大変喜ばしいことであります。子孫に少しばかりはわれわれを顧みてもらいたいなどというおこがましい希望はだれにでも起こりうるのではないでしょうか。それは、おおいに欲深い願望なのかもしれません。しかし、先祖を回顧していないわれわれだけが回顧されようなどという考えそれこそがおこがましいものであるにちがいありません。

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