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自殺予防の欺瞞

 2009年の自殺者数は前年比504人(1.6%)増の3万2753人で、過去5番目に多かったことが26日、警察庁のまとめ(暫定値)で分かった。自殺者数が3万人を超えるのは12年連続。

 男性が2万3406人(71.5%)、女性は9347人だった。

 自殺者数は、月ごとに前年との増減が比較できるようになった09年1月以降、8カ月連続で前年を上回った。完全失業率(季節調整値)が5年5カ月ぶりに5%台に乗った4月と5月は前年より200人以上増えたが、9月以降は、景気が急速に悪化していた前年を4カ月連続で下回った。

 都道府県別では、東京が2989人で最も多く、大阪1982人、神奈川1798人、埼玉1796人、愛知1623人と続いた。28都府県で増加した。(1月26日付時事通信「昨年の自殺者、5番目の多さ=504人増の3万2753人-9月以降は4カ月連続減」)


 昨年も自殺者が3万人を超えた。12年連続のことである。一日90人以上。10分に1人以上が自ら死んでいく。10分に約20人が生まれてくるわが国の新生児数や、同じく10分に約20人が病死、または事故死することと併せ考えても嘆かわしい。今日、まことに憂うべき社会問題のひとつである。

 女性の自殺者数は、ほぼ横ばいであるのに対して、男性の自殺者数は1998(平成10)年に激増し、その後も2.3万人程度で推移している。男女間の差は、より確実な自殺方法(首吊り、拳銃)をとる男性に対して、女性は比較的痛みの少ないとされる方法(服毒、練炭)を好む傾向にあるのが一因といわれ、未遂者数も尋常でない数に上るという。次回の調査で、自殺者に数えられる可能性の高い未遂者に対する支援も、政府が怠ってはならない課題のひとつであろう。

 いわゆる自殺者に向けられるまだほかになんとでもなったのに、という同情の声には、いささか冷ややかなものを感じる。策の有無が、生死の別を決するのではない。もっとも、完全なる無策、途閉ざされし者をして択ばしむるは「死」かもしれないが。この点に関して、わが国のみならず先進各国の自殺予防対策の誤りがあると思うのである。人はとりうる策多しといえども、自我、あるいは自負(プライド)という――この場合は――弊害によって死を択ぶことは実に多い。富めるものに死すもの多き現実を直視せよ。つまり、これらの享受、とりわけ雪解けを見届けなければならないということだ。高貴であるがゆえに生きるのではない。また、困窮ゆえに自死するのでもない。世界的にも不安定なペルーや大地震のあったハイチといった国々では、極端に自殺率が低い。要するに内なるものに生じた齟齬が、人をして死に至らしめるというのが原因であることを知らなければならない。世相によって自殺者が増減するとのみ報道するメディアは、もう少し視野を広げるべきである。当然関係はあるであろうが、それを排除したからといって自ら死を択ぶものなお多い現実にたちまち直面する。ちょうど当時枢軸国であった日独伊を駆逐してもなお、いまだ世界に平和が訪れる気配がないように。

 外国の研究者のなかには、自殺は日本の文化とする意見があるらしい。WHO精神保健部のホセ・ベルトロテ博士はこう述べている。

「日本では、自殺が文化の一部になっているように見える。直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられている。これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向である」

 これはおそらく名誉を守るための「腹切り」との誤解であろう。新渡戸稲造も『武士道』のなかで、イギリスの詩人ガースの「名誉の失われし時は死こそ救いなれ、死は恥辱よりの確実なる避け所」との句を引いている。あるいは、『葉隠』の読みすぎかもしれない。現代の自殺を「腹切り」と混同することは、学者としてはあまりに無知であり、わが国の文化への冒瀆でもある。「腹切り」は積極的自死である。最も象徴的な「腹切り」は、前述の『武士道』でも用いられている当時の英国駐日公使館書記官・ミットフォードの著書『旧日本の物語』の一節、すなわち備前藩士・滝善三郎正信が神戸事件の責任をとった「腹切り」のシーンである。

『拙者唯一人、無分別にも過って神戸なる外国人に対して発砲の命令を下し、その逃れんとするを見て、再び撃ちかけしめ候。拙者今その罪を負いて切腹致す。各方には検使の御役目御苦労に存じ候』。

 またもや一礼終って善三郎は上衣を帯元まで脱ぎ下げ、腰の辺まで露わし、仰向けに倒れることなきよう、型のごとくに注意深く両袖を膝の下に敷き入れた。そは高貴なる日本士人は前に伏して死ぬべきものとせられたからである。彼は思い入れあって前なる短刀を確かと取り上げ、嬉しげにさも愛着するばかりにこれを眺め、暫時最期の観念を集中するよと見えたが、やがて左の腹を深く刺して徐かに右に引き廻し、また元に返して少しく切り上げた。この凄まじくも痛ましき動作の間、彼は顔の筋一つ動かさなかった。彼は短刀を引き抜き,前にかがみて首を差し伸べた。苦痛の表情が始めて彼の顔を過ぎったが、少しも音声に現れない。この時まで側に蹲くまりて彼の一挙一動を身じろぎもせずうち守っていた介錯は、やおら立ち上がり、一瞬大刀を空に揮り上げた。秋水一閃、物凄き音、鞺と仆れる響き、一撃の下に首体たちまちその所を異にした。

 場内寂として死せるがごとく、ただ僅かに我らの前なる死首より迸りいずる血の凄まじき音のみ聞こえた。この首の主こそ今の今まで勇邁剛毅の丈夫たりしに!懼しい事であった。(新渡戸稲造『武士道』〈矢内原忠雄訳、岩波文庫、1938〉より)


 これほどの臨場感ある描写は、世界の文学史においても例を見ないものであろう。外国人研究者の方々は、この上に立って、わが国の夥(おびただ)しい自殺者を少しでも減らすために、どうか知恵を絞っていただきたいと切に願うのである。
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修身のつづき(2)

 曾祖父がハルビンへ出征していたということもわかった。ときは1941(昭和16)年、関東軍特種演習のあった年のことである。あいにく体調を崩した曾祖父は、しばらくすると帰国したようだが、直系に軍属の存在を確認したのは初めてだ。また、その曾祖父の弟は、士官学校出の軍人だったことも併せて知った。

 祖母は、祝日の意味や意義を子どもたちに教える必要があるとも語った。当時の祝日といえば、正月、紀元節、天長節、明治節(正確には新年宴会を含む5日)しかなく、現在のように「祝日=休日」ではなかったという。そして、その度、校長先生が教育勅語を奉読された。

「校長先生が巻物になっている教育勅語を恭しく読む間は、全員頭を下げた姿勢で、三分間ほど絶対に動いてはいけないことになっていた」

 これは妹尾河童『少年H』(講談社、1997)の一節だが、祖母の印象では、これほど厳しいものではなかったという。この教育勅語もまた戦後、軍国主義の象徴であるかのように語られることがあるが、そのような内容ではないという鄙見にも、祖母は賛同してくれた。

 葬り去られること64年――「修身」にはつづきがあったのではなかろうか。

 ■反省

 日本は、外国に比べて治安のよい国です。

 でも、ある日、日本に住む外国人の車の中から財布が盗まれてしまいました。治安のよい日本を尊敬していた外国人はたいそうがっかりしました。

 その3ヵ月後、外国人の家に見知らぬ人から手紙が届きました。

「私の弟はあなたの車の中から財布を盗んでいます。申し訳ありませんでした」

 と書いてありました。その後、刑務所からも一通の手紙が届きました。

「私はあなたの泥棒です。大変ひどい思いをさせてしまって、申し訳ありませんでした」

 と書かれていて、盗まれた財布とお金も還ってきました。

 外人さんは、「泥棒でさえ礼儀正しい」と思い、日本に対する尊敬を取り戻しました。

 過ちを犯したら、反省しなければなりません。(2008〈平成20〉年3月13日フジテレビ系「NIPPON@WORLD」でのギュレチ・セリム・ユジェル氏の発言を基に構成)

“核なき世界”は実現可能か

 できることなら、核兵器も戦争も貧困も環境破壊もなくなることを望むものである。これらを「平和を愛する諸国民」の手を借りれば、容易(たやす)くできると信じ込み、廃絶を声高に訴えるものが「平和主義者」と見上げられる風を厭うものでもある。一方、国家が核兵器を使用することは、もう二度とないだろうと予見している。喫緊の危機は、国よりも小なる集団、主にテロリストに渡ることである。自爆テロが頻発する昨今の情勢を鑑みると、この場合に危険は最も高まると思う。このため、核兵器以外にも生物破壊兵器を含む広範にわたる大量破壊兵器の譲渡を完全に禁止し、それを厳密に監視する。場合によっては、罰則の強化を念頭に、制裁基準をあらかじめ決定しておく必要もあろう。

 ■“核の傘”同盟

 ただ、国家によって使われる可能性には、楽観しているとはいえ、まだまだ脅威はちっとも薄れていない。ここで主に「北大西洋条約機構(NATO)」で導入されている「ニュークリア・シェアリング(核兵器共有)」を用いた連合(NSN)を提唱する。断っておくが、加盟国に新たな核の保有を禁じている「核拡散防止条約(NPT)」にこのシステム自体は、矛盾しないと考える。

 この提案は、非保有国を中心とした枠組みの設立のことで、参加国が核攻撃を加えられたら、投下国に対して即座に報復措置が行われる。ここでアメリカにひとつ要求がある。核廃絶を訴えるのなら、この広域連合の設置に協力することと核保有税をこの連合に支払うことを容認しなさい。つまり、核保有量に応じて納税し、連合に譲渡すれば、それだけ負担は減る仕組みを作るのである。これに積極的に賛同するのが、核使用国の「道義的責任」というものであるはずだ。加えて、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5大国は、なんら負担を背負わず、非保有国にだけ保有を禁じるというのは、虫がよすぎると思わないか。この核保有税は、それに対する正当な負担であると考えてほしい。保有国同士の折衝による廃絶などありえない。世界規模の大きな組織が、核兵器を管理することによってのみ廃絶に近い状態が維持されるのである。

 ■沖縄返還も評価されてのノーベル平和賞受賞

 日本の核保有についても、心ある代議士の発言(核全般の議論)から一般的には議論が許され始めているが、私は前述の幻想が実現されれば、日本の安全保障面における保有の必要性は必ずしも高くないと考える。もちろん、日本が保有することの別のメリットは大いに認めるところだが、その前に立ちはだかるのは非核三原則である。

 ここでひとつご記憶を呼び起こされたいのは、1974(昭和49)年、佐藤栄作前首相(当時)が受賞したノーベル平和賞を受賞した際、非核三原則だけでなく、平和的な領土返還も評価されていることである。非核三原則とノーベル平和賞は不可分だと意図的に解釈したがる「平和主義者」がいるが、これはその他の功績も評価されての受賞なのである。その上、国家の尊厳を取り戻すため、国家の存続のためには、後先考えぬ、また国民的コンセンサスの得られない談話やルールに対するタブーなき見直しが不可欠である。これを克服して、少なくとも(政治的に)「もてない国」から「もたない国」にしなければならないし、常に核保有議論の余地は残しておかなければならない。

 ■核密約をこれ以上ほじるな

 鳩山由紀夫政権の大好きな「○○委員会」をわざわざこしらえなくとも、密約の有無などは最初からわかっている。日本にとって益するところの大きい密約を暴(あば)くことによる快楽とはいったい何であろうか。岡田克也外相は、この密約を肯定するとしているが、なぜその結論をすでに持っているのにもかかわらず、検証を続けるのだろうか。この密約が明澄(めいちょう)でないのは、こそばゆいかもしれないが、立派に機能し、国益に寄与しているものをわざわざここで穿(ほじく)り返す必要はない。岡田外相個人の生真面目な性格が仇とならぬよう心して政務に当たってほしい。

 それでもやるならば、検証でとどまることなく、核の抑止力の価値を再考し、国民的議論につなげてほしい。原子力時代に核保有議論はおろか、核に対するすべての議論ができない国会の状況は異常である。米国のプレゼンスをどの程度評価し、北朝鮮や中国の核兵器に対して、どう日本の安全を担保していくかの議論はもちろん、近隣諸国の暴発による乱発や放射線漏洩に対する国民の保護など幅広い核の議論が必要だ。いずれは原子力潜水艦の議論も欠かせない。民主党はそのための土壌を、意に反する議論を迫られる与党という立場にある今こそ整えていくべきだ。

 ■オバマよ、ヒロシマへ

 秋葉忠利広島市長が21日、ホワイトハウスのオバマ大統領を訪れ、広島訪問を要請した。それに対し、オバマ氏は「広島に行ってみたい」と答えたという。昨年11月の訪日に際しても、広島訪問が取り沙汰されたが、結局見送られたこともあり、先行きは不透明だ。加えて、原爆容認派の多いアメリカ本国での反発も予想される。大統領の意向通りに動くとは思えないが、ひとまず被爆地への訪問の意思は歓迎したい。また、日本の首相がアーリントン国立墓地を訪れることもあるため、米大統領の靖国神社への参拝も望ましい。旧交戦国が互いの犠牲者を弔う行為は、両国間に明るい未来をもたらす。無論日米同盟の修復が先だが。

見えてきた通常国会の全貌(下)

 ■ぞっとする朝日新聞世論調査

 永住外国人に地方選挙で投票する権利を与えることに賛成する人が60%にのぼることが、16、17日に朝日新聞が実施した全国世論調査(電話)の結果わかった。「反対」との意見は29%だった。

 政府と民主党は、地方選挙権付与法案を今国会に提出することで合意している。民主支持層では賛成が70%とさらに多く、反対は23%にとどまる。内閣支持層でも賛成70%、反対23%だった。

 自民支持層では賛成と反対がともに45%で並んだ。自民党内では反対意見が優勢だが、支持者の意識とは必ずしも一致していないようだ。

 世代別では、30、40代で賛成が7割台なのに対し、60代では54%、70歳以上では37%にとどまる。(1月19日付朝日新聞「外国人参政権に賛成60%、反対29% 朝日世論調査」)


 日ごろから偏向報道でおなじみの朝日新聞だが、どうやら世論調査もろくにできないようである。万一、これが日本国民の民意であるなら、国亡ぶ日はそう遠くないであろう。評論家の金美齢氏が台湾に別れを告げたときの心情がよくわかる。だが、これが意図的な報道であることを私は疑わない。「これが世論です。だから……」と言いたげな記者の顔まで見透かせる。なぜならば、多少質問内容は異なるが、16、17日に行われた産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査では、「今夏の参院選を前に、永住外国人に地方参政権を与える法案の成立に期待するか」との問いに対し、「期待する」が40.5%、「期待しない」が46.7%という結果が出ているからである。ちなみに毎日新聞世論調査では、賛成59%、反対31%である。むべなるかな、といったところだろう。

 ■帰化の簡略化も危ない

 以前からことあるごとに記しているように、永住外国人への地方参政権付与は、今国会最大の懸案であり、絶対に成立させてはならない。亡国の第一歩であると同時に、その足は二度と泥沼から抜けなくなる。この永住外国人への地方参政権付与はもちろんだが、反対派のなかにさえ燻(くすぶ)る帰化の簡略化も極めて危ない。これはちょうど夫婦別姓の愚と似ている。一定の「かたち」を取ることによって、人が人を思う心が涵養されるのと同様に、国を愛する心も一定の期間、一定の「かたち」を取ることによって育まれるものだと思う。これまで深く深く異国の地に根ざした根っこを日本に移植するのが、帰化であるからなおさらである。また、指紋押捺の廃止をも想起させられる。ふつうの人間なら指紋を採取されれば、悪いことはできないな、と思うのが当然であり、これはそう思わせるための一種の儀式であった。いったい推進派は、移動したければ移動できる本籍や住民票とは次元が違うことをどれほど真剣に考えているのだろうか。帰化の要件は、厳しくあるのが望ましい。

 ■外国人住民基本法から目を離してはいけない

 こんな法律ができたら、日本はとんでもないことになる。そのひとつが、外国人住民基本法案である。日本国憲法3章に延々と羅列された「権利」と「自由」を――たとえ性質上不可能であっても――外国人にも保障する。公務に就く権利や再入国の自由といった日本国民のみを対象としている権利や自由も保障する。社会保障や戦後補償も遡及的に適用する。また、「日本国籍者または永住資格を有する外国人の配偶者で、3年以上居住している外国人住民は、申請により永住資格が付与される」(5条3項)「外国人住民で引き続き5年以上居住している者は、申請により永住資格が付与される」(同条4項)ともある。要するに、5年いたら、みな永住者だ。しかし、彼らに与えられるものは、これだけではない。21条には、「永住の資格を有し、もしくは引き続き3年以上住所を有する外国人住民は、当該地方公共団体の議会の議員および長の選挙に参加する権利を有する」として、永住外国人にとどまらず、外国人住民にまで地方参政権を認めてしまっている。「外国人」への地方参政権付与法案だ。

 極めつけは、22条の「外国人人権審議会」の設置である。23条で国や地方に対して、暗に人権行政の整備を求めていることも勘案すると、外国人住民基本法とは、人権侵害救済法(人権擁護法)を含有している法案であることがよくわかる。これで日本は終わりになる。「人権」と「マイノリティー」が跳梁跋扈し、戦国武将も驚く「人権割拠」「マイノリティー割拠」の完成である。信長も秀吉も「人権」を武器にすれば、すんなり統一できたのに……と脂(やに)下がっている場合でない。「外国人」への地方参政権の付与と人権侵害救済法という社会を根底から歪める二枚看板の除幕式は、すでに間近に迫っているのである。

見えてきた通常国会の全貌(中)

 ■民法出でて“家族”滅ぶ

 わが国の民法典の系譜を遡ると、お雇い外国人のボアソナードが起草した旧民法が嚆矢だとわかる。しかし、「民法出デテ忠孝亡ブ」という論文を発表した穂積八束(ほづみやつか)らが、その施行に反対。いわゆる「民法典論争」である。旧民法は、当時自由主義国の最右翼であったフランス――「人権」というイメージの強いフランスだが、男女普通選挙制度の導入は、日本と同じ1945(昭和20)年――の民法を真似たため、日本の歴史・伝統・文化・風俗・価値・倫理観にそぐわないものとなってしまった。そのため、ボアソナード民法の施行を断行しようとする明治政府と、これに待ったをかけたい穂積八束ら施行延期派との間で大論争に発展し、その後旧民法に修正が加えられるかたちで現行の民法が施行された。その民法が今、様変わりさせられる危殆に瀕している。改正案の骨子は、(1)選択的夫婦別姓制度の導入(2)非嫡出子の相続分規定の撤廃(3)離婚した女性の再婚禁止期間を現行の180日から100日に短縮の3本柱である。いずれも「男女平等」や「人権」を振りかざし、家族を真っ二つにしかねない法案で、危険な改正であることは間違いない。

 (1)選択的夫婦別姓制度の導入に関して、現在97%の女性が改姓していることは男女不平等だ、とする意見があるようだが、民法750条には、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」とあるだけであり、法律的に男女はきわめて平等な立場にあるといえる。改姓に関して、男女の不平等を感じるのであれば、社会通念に変化を求めるべきであって、法律に求めるべきではない。しかも、生まれもった氏を法的にも貫きたい女性がいるのであれば、自分を戸主とし、婿をもらうという解決策、あるいは養子縁組による解決策も、すでに社会に定着している。であるのに、なぜ別姓の導入を求めるのか、その必然性が見当たらない。そればかりか、私にはそれに伴う弊害ばかりが目についてしまう。

 本来、婚姻によって、氏が変わり、家族としての「名」が統一される。これまで育んできた「実」と合わせて、「かたち」の上でも連帯感が醸成されるといってよいだろう。第一に、これが失われてしまう。ほかにも、お墓の問題が生じてくるであろう。夫婦別姓の途を択びたい女性は、自分は夫の墓ではなく、自分の両親の墓に入りたい、と考えているのかもしれないが、では自分の子どもはどうすればよいのだろうか。夫婦が別々の墓に眠れば、夫婦のいずれか一方は、子どもと離れ離れのお墓に眠ることになる。夫と子が同じお墓に、妻だけ別のお墓に入った場合、妻は夫の親族から見て、間違いなく「はみだしもの」になる。これはたかが死後の問題では済まない。一緒の墓に入らぬもの同士であれば、生前もそれなりの関係しか結べない。だったら、個人、または核家族単位でお墓を作ればよいではないか、と考えているのかもしれないが、これを続けていけば、数十年後には無縁仏が続出する事態を招く。結果的に、日本古来の墓参り文化を破壊する。先祖に思いを馳せ、感謝の気持ちを捧げるあの美しい光景が消えるのだ。これほどの問題を超えて、なお導入する積極的理由が私には見出せない。

 これに負けず劣らず問題なのが、(2)非嫡出子の相続分規定の撤廃である。簡単にいえば、現在、妻と愛人の子どもとの間に設けられている法定相続差を「子どもは生まれながらに平等である」との理由からなくすというのである。非嫡出子相続分規定違憲訴訟において最高裁は、この規定を「法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものと解される」(最大決平7.7.5)とし、合理的規定である旨とする決定を下しているのにもかかわらずである。

 たとえば、ここに1億円という多額の財産を遺して父親が他界したとする。妻は存命。子は2人。すると、法定相続を行う場合は、妻に5000万円、子どもは2500万ずつ分与されることになる。はずだが、哀しいかな!父には愛人がおり、哀しいかな!父はその子どもを認知していたとする。すると、妻は5000万円、子ども2人はそれぞれ2000万円、愛人の子は1000万円、愛人はもちろんもらえずということになる。この程度の差でよいのかすら疑問であったが、今回の改正案では、こともあろうに、民法900条4号の「嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一と」する規定を「差別」と取り違えて、改めようとしているのである。これに従って振り分けると、妻が5000万円は変わらず、子ども――みんな同じ「子ども」――はそれぞれ1666万円ずつということになる。まさに日本の家族形態の象徴である「一夫一婦制」を破壊せしめんとするものである。これによって、事実婚や不倫のデメリットが軽減される。つまりは、愛人が子どもを産むことによる金銭的メリットを増大させるといってもよく、今日の社会問題のひとつともいえる不倫に拍車をかけることになる。その結果、不貞行為は、道義においてのみの問題に収束することになってしまうのである。むしろ困るのは女性であるというのに、これらを積極的に推進する民主党に女性票が流れているとはなんたることか!民主党は、まさかこれをもって、婚外子を増やし、少子化対策とするのではあるまい。子どもの「平等」に目を奪われるあまり、浮気の問題を見過ごすことになってはならない。

 そして、(3)離婚した女性の再婚禁止期間を現行の180日から100日に短縮。つまり、「女は、前婚の解消又は取消しの日から6箇月を経過した後でなければ、再婚をすることができない」とする民法733条の改定である。これは772条(婚姻後200日、離婚後300日規定)の嫡出推定と同様に、父子関係をめぐる紛争を未然に防ぐ目的をもって制定された意味のある期間である。改正案の100日という日数は、おそらく772条から導き出された数字(離婚後300日-婚姻後200日=100日)だと理解するが、現実的な問題として、女性が再婚禁止期間内であるにもかかわらず、誤って婚姻届が受理されてしまうというケースがある。そのような場合、現行の180日から今回の改正案のように100日に短縮すると、772条との関係からわずか1日の取り扱いミスにより、父性が重複することとなる。現在の規定でさえ、紛争が発生する可能性があるにもかかわらず、これ以上短縮すれば、平穏な家族環境を危険にさらすことになる。また、純倫理的な面からいえば、離婚後3ヶ月あまりで再婚することに抵抗は感じないのだろうか。日本の道徳律では、婚姻の解消を恥とし、極力隠す方に向けられたものである。それがいつしか「バツ1」「バツ2」と公言することも憚らない世情になり、離婚に至ったことに対する反省や罪悪感が薄れてしまった。個人で感じられる「恥」は、集団で感じられる恥に比べて小さい。「恥」の文化の淵源(えんげん)ともいうべき集団の存在は、日本文化を持つ日本が絶対に否定してはならないものだ。なぜなら、「恥」は相互主体性を基礎とするからである。今回の改正で日本の持つ家族文化が、さらに壊れていくことになりはしないだろうか。国の宝である子どもたちを生み出すのは家族であり、家族の崩壊は、長期的には国家の崩壊へとつながる。民法の改正は、なにとぞ慎重であってほしい。

 これらは、なんでもかんでも男女を同様に扱えばよいという問題ではない。男女の役割を踏まえ、婚姻倫理や貞操義務といった性道徳をも含めて考えなければならないのがこの民法である。婚姻制度の次は戸籍制度と息巻く議員が、民主党には多数おり、川上義博参院議員、松本龍衆院議員を中心に昨年、「戸籍法を考える議員連盟(仮称)」が発足した。彼らは、家族単位の戸籍制度を否定しており、最終的には、現行の戸籍法廃止を目指すのだという。そもそも家族、親戚、地域、国という共同体(コミュニティー)あっての世界である。それを飛び越えて、あるのは個人と「世界」だけという可視性にのみ立脚した主張には首肯できない。混沌とした世界情勢を概観すれば、あまりに早すぎる試みといえよう。理想郷(ユートピア)の建設には、人類の叡智と努力がまだまだ足りない。「男女共同参画」「女子差別撤廃」――聞こえはいいが、向かっていくべき方向と向かっている方向は正反対である。封建的な家父長制度に戻ることなく、女性の真なる自由と平等を保障する体制を整えていかなければならない。
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 また、日ごろ綴っております鄙見に対しましても、みなさまより分を越えた「ブログ拍手」をいただいておりますことをありがたく存じております。「ブログ拍手」という性質上、おひとりおひとりに謝意を表することは叶いませんが、いただいた一拍手一拍手の積み重ねをご高評のバロメーターとさせていただくことにより、日々指針に反省と修正を加えております。欠礼をご容赦願うとともに、厚く御礼申し上げます。

プロフィール

オーデーベース

Author:オーデーベース
 顔と名前をお見せするその日のために、鄙見を認(したた)めてまいります。市政か、県政か、あるいは国政かわかりませんが、愛する日本と故郷のために勇往邁進することをお誓い申し上げます。

 人ひとりにできることは限られております。あるいは遺産も功績も何ら残せずに終えてしまうかもしれません。ただ、あのころの先人はよくやったと後世に云われたとき、その十把一絡げにされた先人のひとりにでもなれたのなら、それは大変喜ばしいことであります。子孫に少しばかりはわれわれを顧みてもらいたいなどというおこがましい希望はだれにでも起こりうるのではないでしょうか。それは、おおいに欲深い願望なのかもしれません。しかし、先祖を回顧していないわれわれだけが回顧されようなどという考えそれこそがおこがましいものであるにちがいありません。

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