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傾きかけたフェミニズム

 九州大学(福岡市東区)は19日、2012年度の一般入試から理学部数学科の定員に「女性枠」を設ける計画を撤回すると発表した。女性研究者を増やす目的を掲げていたが、「男性への差別だ」との批判や「違憲のおそれ」の指摘を受け、この枠で合格する学生への影響も考慮した。今後も当面、枠は設けない。

 九大は昨年3月、数学科の後期日程定員9人のうち5人を女性枠とすると発表。「優秀な女性の人材を育成しないのは社会にとっても損失」「女性ならではの視点と感性で教育、研究に多様性をもたらしたい」などの考えを示した。しかし、電話やメールなどで「男性差別につながる」「法の下の平等の観点から問題があるのではないか」などの批判があったという。

 九大ホームページを通じて寄せられた意見22件のうち否定的なものは16件で、残り6件は「女性の研究者を増やしてほしい」など肯定的だったという。

 九大が弁護士ら法律の専門家に意見を聞くと、「女性枠」が法の下の平等に反する可能性を指摘された。女性枠で入る学生が受けるストレスも考え、19日の学内の協議で撤回を決めた。

 記者会見した入試担当の丸野俊一副学長は導入段階から学内でも賛否があったとし、「(研究分野で)男女共同参画を推進したいとの考えがあったが、法にふれる可能性までは気が向かなかった」「社会の様々な決定の場に女性が出てくることが日本では極めて限られている。今後も女性研究者を増やしていく努力は続けたい」と話した。

 文部科学省によると、全国の大学・大学院で女性教員が占める割合(07年10月現在)は18.2%で、国立大は約12%。九大は全学で10.5%(今年5月現在)、数学分野では約4%(同)とさらに低い。名古屋工業大学など、推薦入試で女性枠を設けている大学はあるが、九大は一般入試以外でも女性枠は当面検討しないという。(20日付朝日新聞「九州大学が入試『女性枠』を撤回 『差別』批判受けて」)


 九州大学理学部の入試制度に設けられていた女子枠が来年度入試より廃止されることがわかった。この制度は女子受験生のみを募集する特別枠を設置し、女子学生の確保を目指そうとするもの。しかし、男子受験生に不利だとして、方々から批判の声が上がっていた。

 これはポジティブ・アクションの一例である。ポジティブ・アクションとは、積極的格差是正と訳され、制度面から「社会的弱者」の救済を図ろうとする措置。よって、この実施にあたっては、障害者であったり、お年寄りであったりといった一見して明瞭なハンデを認識する必要がある。ところが、当該入試制度に差異がための不利益は見出せない。それにもかかわらず、ポジティブ・アクションを行う理由は、女性の能力、ここでは主に学力が男性のそれに比べて、著しく劣るということになる。私はこれを是認しない。

 これは推進派とて否認するはずだ。つまり、フェミニズムの甘えであり、フェミニズムの理論的衰弱なのである。すなわち、これはフェミニズムが何ものかに依拠してきたことを示唆し、やがてこの理論は転倒する。だが、社会はそこまでもたない。
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金銭を理由に出産を憚る

 玄葉光一郎国家戦略担当相ら関係5閣僚は20日深夜、来年度の子ども手当について、0~2歳の子どもがいる世帯に限り今年度の月額(15歳以下1人当たり1万3000円)に7000円上積みし、月2万円とすることで正式に合意した。財源2500億円は全額国費でまかなう。内訳は、所得控除などの縮小で生じる国の増収分2000億円、厚生労働省の他の予算削減で捻出する200億円に加え、同省の自治体向け補助金300億円を流用する。

 政府は当初、上積み財源に給与所得控除と成年扶養控除縮小による国の増収分だけでなく地方の増収分も充てる考えだったが、地方側は強く反発。このため地方の増収分には手を付けない代わりに、国の補助金をその分削って上積み財源とする案で決着した。

 ただ、12年度以降の財源は不透明なままだ。このため、今年度に続き、11年度だけの時限法案とする。(21日付毎日新聞「子ども手当:7000円上積み合意 財源は全額国費で決着」)


 政府は今年度から18歳以下の子どもを対象に月額1万3000円を支給している「子ども手当」を来年度から3歳未満に限り、月額2万円に増額することを決めた。昨年の衆院選のマニフェストでは、来年度から18歳以下すべての子どもに月額2万6000円を給付すると謳っていた。

 幼保一元化や保育所の増設による待機児童の解消とともに、子育てによって生じる金銭的負担に対して、現金給付を求める声は止まない。それは貧せるより富める方がよいに決まっているから、現金支給がありがたいのはいうまでもない。子育てをしようにも、若いがために収入が少ないということもあるだろう。だが、出産・子育てには、金銭的価値をはるかに超える精神的充実が待っているのだと考えずにはいられない。

 それゆえ、出産しない、ことに金銭的利害を理由に出産を憚るものには、まったく閉口する。私が問題視しているのは(身体的に)「産めない」方ではなく、(意図的に)「産まない」方である――後者の回心には期待せずに、前者が身命を賭して取り組んでいるという不妊治療の医療費助成にしぼった方がよいかもしれない――。あえて「産まない」といってもよい。いわゆる「産まない選択」というやつである。だが、ふつう何かを得るためには、何かを放棄するなり、制約されるなりするものだ。国家にありあまる富があるのなら、それに頼るのは当然かもしれないが、昨今の財政状況がそれを許さないのは百も承知だろう。養育できないほど困窮しているのなら無論、話は異なるが、現状維持を望むあまり、国家に保障を希(こいねが)うのだとすれば、その後に待ち受ける苦悩にも到底、耐えることはできないだろう。

 こういうなかにあって、子どもを産み育てることの価値を教育、つまり「産まない」ことを不当に賛美しない教育をしていくことは、きわめて重要なことではないか。昨今の学校現場では、多様な価値観を育むとの理由で、離婚によってシングルマザーとなったケースだけでなく、場合によっては、事実婚という形態も家族の一例として取り上げられるのだという。もちろん、これらも現実社会においては、ありふれた事実なのかもしれないが、あたかもそれがよい、あるいは当たり前との誤解を招くようなことがあってはならない。あくまで倫理・道徳教育は、なしうる理想の教化に徹するべきだ。

 民主党はフランスで出生率が上がった解をことさら子ども手当に求めたがるが、私はそれがどれほどの効果を与えたのか、より多面的、長期的に検証しなければ、わからないと考える。フランスでは、事実婚が容認され、おびただしい数の非嫡出子が生まれている。これで果たして出生率の上昇といえるのか、すこぶる疑問だ。同様に民主党も、事実婚の奨励や非嫡出子の相続分規定の撤廃に力を入れてきた。これで出生率が伸びても、私はちっともうれしくない。

男女共同参画社会って何だ

 政府の男女共同参画会議(議長・仙谷由人官房長官)は23日、平成23年度から5年間実施する第3次男女共同参画基本計画の策定に向け、選択的夫婦別姓制度導入の必要性などを盛り込んだ「基本的な考え方」をまとめ、菅直人首相に答申した。これまでの基本計画では、夫婦別姓に関するスタンスは明記されていなかったが、民主党政権初の計画策定に向け、答申は制度導入を強く後押しする内容となった。

 答申は、喫緊の課題として、多様な生き方を可能にする社会制度の実現に向けて「世帯単位の制度・慣行から個人単位の制度・慣行への移行」を掲げた。その具体的な取り組みとして「家族に関する法制について選択的夫婦別姓制度を含む民法改正が必要」と明記した。

 自民党政権下の12年にまとめられた第1次男女共同参画基本計画では、夫婦別姓に関し「国民の意識の動向を踏まえ引き続き検討を進める」と表現。17年の第2次計画でも「国民の議論が深まるよう引き続き努める」と、抑制的な表現にとどめていた。

 同会議は今回の答申に先立ち、夫婦別姓の必要性を示した中間整理案を4月に公表し、パブリックコメントを募集。約1万3000件寄せられた意見では、夫婦別姓に関する反対意見が多数あったという。ただ、学識者らで構成する同会議傘下の専門調査会で「男女共同参画の実現には選択的夫婦別姓の導入が必要」と結論付けられ、今回の答申にも盛り込まれた。

 また、答申では、女性の管理職登用や育児休業の取得などに積極的な企業に対し、優遇税制や国などの事業発注での優先的扱いを検討するよう求めている。

 政府は今回の答申を基に第3次基本計画を策定、年内の閣議決定を目指す。(24日付産経新聞「選択的夫婦別姓を明記 第3次男女共同参画基本計画策定に向け答申」)


 政府の男女共同参画会議は23日、来年度から実施される第3次男女共同参画基本計画案を菅直人首相に答申した。4月に公表された中間整理案では、現行の第2次男女共同参画基本計画(2005年12月27日閣議決定)にある「『ジェンダー・フリー』という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる。例えば、児童生徒の発達段階を踏まえない行き過ぎた性教育、男女同室着替え、男女同室宿泊、男女混合騎馬戦等の事例は極めて非常識である。また、公共の施設におけるトイレの男女別色表示を同色にすることは、男女共同参画の趣旨から導き出されるものではない」との記述を削除したほか、「ポジティブ・アクション(積極的格差是正措置)」の具体例として、人員の一定数を女性に割り当てる「クオータ制」の導入を提唱していた。

 中間整理案に引き続き今回の基本計画案でも、選択的夫婦別姓制度の必要が指摘されている。だが、私はこれに反対だ。理由は大きく5つ――(1)結婚に際して、妻、または夫、再婚の場合はその連れ子も改氏する必要がなくなり、離婚・再婚がしやすくなる(2)交際と婚姻の垣根が低くなった結果、事実婚が増加する(3)夫婦、または核家族単位の墓が乱立し、無縁仏が続出する(4)氏を統一することによって芽生える意識や自覚がなくなる(5)社会通念がそうさせているだけであって、男女不平等な法制度ではないからである。

 ここで、もうひとつ欠けているではないか、とお思いの方がいらっしゃるであろう。そう、家族崩壊の問題である。これは反対派からしばしば呈せられる懸念だが、実はこれまで合点がいかなかった。集団意識の揺らぎが団体の結束を弱めるというあたりまではわかるのだが、ひとつ屋根の下に暮らす家族の意識が別姓の導入ひとつで、そこまで変わってしまうのだろうか――ここがどうにも釈然としなかった。

 しかし、今回の基本計画案はこの点をきわめて明瞭にしてくれた。「世帯単位の制度・慣行から個人単位の制度・慣行へ」と移行するために、「選択的夫婦別姓制度を含む民法改正が必要」となるというのである。個人主義のための別姓――この思想の根底には、結婚や家族、さらには国家を個人に対する抑圧装置と捉えている節がある。こうした「障害」や「権力」から人間を開放するために、別姓を導入するというのだから、果たしてそうなっていくのだろう。

 専門調査会は男女共同参画社会を実現するために、選択的夫婦別姓の導入が必要となると提言したそうだが、ここにいう「男女共同参画社会」とは、いったいどういう社会を指すことばなのか。私は男女の尊厳を大切にし、性別による非合理的な差別を排除する社会のことだと思っていた。

外面だけの男女平等

 政府の男女共同参画会議の基本問題・計画専門調査会(会長・羽入佐和子お茶の水女子大学長)は15日、平成23年度から5年間の男女共同参画基本計画策定に向けて中間整理案を公表した。性差否定の温床となった「ジェンダーフリー」や過激な性教育への歯止めをかけた現行規定を削除したほか、公的機関などの一定比率を女性とするよう割り当てる「クオータ制」の検討を初めて明記するなど、福島瑞穂男女共同参画担当相の意向を踏まえた急進的な内容となった。

 現行計画では「ジェンダーフリー」という用語を利用して男女の性差や男らしさ、女らしさを否定する動きについて、「国民が求める男女共同参画社会とは異なる」と指摘。発達段階を踏まえない行き過ぎた性教育についても自制を求めているが、中間整理案ではこれらの表現は削除された。

 福島氏は2月、あらゆる施策でジェンダー平等の視点を取り入れるよう求める「基本的考え方」を公表しており、中間整理案も「福島氏の考え方を全部反映した」(内閣府幹部)という。

 中間整理案は「政策決定過程への女性参画拡大が十分に進まなかった」と、これまでの政府の取り組みを批判。「政党や民間企業などへの行政の働きかけが自制的だった」ことなどを理由に挙げて、実効性ある施策の導入を求めた。

 具体的には、男女間格差を改善する「ポジティブ・アクション」を進める上でクオータ制の導入検討を明記。男女共同参画への積極的な取り組みを公共事業受託の条件とする法整備や、税制優遇措置の検討も初めて盛り込んだ。

 政府内で法案提出が検討されている選択的夫婦別姓については「女子差別撤廃委員会の最終見解も踏まえ、民法改正が必要である」と強調した。

 同会議では公聴会を経て、6月をめどに鳩山由紀夫首相に答申する。政府は年内に次期計画を策定する方針だ。ただ、夫婦別姓の導入には亀井静香郵政改革・金融相が強く反対しており、政府内の調整は難航しそうだ。(15日付産経新聞「『ジェンダーフリー』や過激な性教育への歯止め削除 男女共同参画中間案、福島氏の意向色濃く」)


 15日に公開された「男女共同参画基本計画案」に関する問題点は、今朝の「主張」(産経新聞社説)でも取り上げられている。この男女共同参画社会の実現も、人権擁護法案や女性差別撤廃条約と同じく、騙されやすい美名を用いている。これらを信条として共有するリベラル派のネーミングセンスは、いつも一枚上手(うわて)だ。だからこそ、ややもすると見逃しがちである。気をつけなければならない。

 真の人権は守らなければならないし、真の女子差別は撤廃しなければならないのは、いうまでもない。言論に過剰な制約を加えたり、女性に参政権を与えなかったりした過去は、わが国のみならず人類の汚点と呼ぶべきだろう。が、これらの大半は、戦後大幅に改められた。もちろん、今後も「国民の不断の努力」によって、保持していかなければならないものや勝ち取って行かなければならないものはあるだろうが、それにしてもこのごろというもの、行き過ぎた「平等」や「公平」が幅を利かせていはしないか。

 ここでいう真の男女共同参画社会の実現を妨げている行き過ぎた動きとは、「ジェンダーフリー(性差否定)」や「ポジティブ・アクション(積極的格差是正措置)」などのことである。ジェンダーフリーというのは、本来性による不合理な社会的、文化的差別をなくすことであるはずだったが、推進派は「男らしさ」や「女らしさ」を否定するにとどまらず、男女の合理的な役割分担までも否定してしまっている。ここに大きな問題があるといえる。

 たとえば、90年代に行われた男女共修化がそうである。それまで中学校では、男子は「技術」を、女子は「家庭科」をそれぞれ学んでいたが、1993(平成5)年に男女とも技術・家庭科を学ぶこととなり、翌年には高校でも家庭科の男女共修が実施された。これは、日本が女子差別撤廃条約を批准するために改正した戸籍法や国籍法、男女雇用機会均等法の制定の延長上にある。ここで家庭科の男女共修化までも批判してしまうつもりはないが、おかしなジェンダーフリーへの伏線として、もっと注意しておく必要があったと思う。というのも、その後蔓延したのが、男女の別を廃して、どちらも「一個人」として捉える考え方だからだ。そして、その当然の帰結として、より個人主義的な風潮や過激な性教育が教育現場に持ち込まれた。低学年に行われる科学的な性教育から高学年の男女同宿、男女共同トイレの設置、障害者への不適切な性教育(七生養護学校事件)などがその典型である。私自身の経験に照らし合わせても、男女同一体操着の導入や男女合同性教育などその余波はたしかにあった。アンケートなどの性別記入欄に見られる「女・男」という奇妙な表記とも無縁でないと思われる。ここまでくると、推進派というのは、男女共同参画社会を騙った「女尊男卑主義者」でないかと疑ってしまう。外面だけを整えても、性差に目を向けた本質的改善をしなければ、真の平等は訪れない。そればかりか、一般に体力面で男性に劣るとされる女性を安易に画一化してしまえば、ひずみは女性を苦しめる。男女の役割を無視し、「一個人」として扱うのは、やはり問題だ。

 ジェンダーフリーと同様に横文字でごまかしたポジティブ・アクションとは、一言で言えば、男女共同参画社会に逆行するものにほかならない。具体的には、今回盛り込まれた「クオータ制の導入検討」や「男女共同参画への積極的な取り組みを公共事業受託の条件とする法整備」などがこれに当たる。これまでの男女共同参画基本計画でも、「2020年までに、指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%になるよう期待し、各分野の取組を推進する」としており、女子特別枠の設置による優遇採用などのポジティブ・アクションがすでに取られてきた。それをまだ進めようというのである。男性からすれば、性の違いによって不合理な扱いを受けるのではないか、と疑問視するのが当然であり、女性としても、不当に女性の価値を見積もったものとして断固声を上げるべきである。ポジティブ・アクションは、女性優遇というより、むしろ女性をばかにしている。女性を劣等視した「女性差別主義者」の考えだ。

 今回公表された中間整理案で、「女子差別撤廃委員会の最終見解も踏まえ、民法改正が必要である」としていることからも予期しうるように、夫婦別姓制度の導入や非嫡出子の相続分規定の撤廃などの民法改正を求める動きが再燃する恐れがある。また、「世帯単位から個人単位の制度・慣行への移行」という文言が加えられたことからも、日本国憲法同様、個人の尊厳に最高の価値を置いており、今後は現在の戸籍制度を廃止する動きも加速していくのだろう。中間整理案には、このような思想が随所に垣間見え、内閣府幹部が「福島氏の考え方を全部反映した」と語ったのも肯ける。これらはみなリベラル派が共鳴する価値観だ。政府がこれまで行ってきた積極的な男女共同参画政策によって、「政策決定過程への女性参画拡大が十分に進まなかった」ことなどあるはずがなく、制度的にはずいぶん整ったといえる。さらに社会的にも、国民の既存の意識や価値観に変化が認められ、今後ますます寛大な方向へ進むものと予想される。一度、このあたりで立ち止まって、これまでの政策を評価すれば、ベクトルを大転換する必要があることを悟るはずだ。ふつうの男女共同参画担当相ならばの話だが。

国破れて“悪平等”あり

 鳩山由紀夫内閣で、選択的夫婦別姓の導入を含む民法改正に、千葉景子法相と並んで熱心な福島瑞穂少子化担当相のことばを拾いながら、改めてこの政策の危険性を確かめたい。この民法改正案には、夫婦別姓以外にも非嫡出子の相続分規定の撤廃や、離婚した女性の再婚禁止期間を現行の6カ月から100日に短縮するなど日本の家族観を歪めるものが散りばめられているが、今回は要である選択的夫婦別姓の導入とその背後に待ち受ける価値観の喪失に絞る(民法改正案全般については、1月22日付本欄「見えてきた通常国会の全貌(中)」参照)。

 ■『みずほの個人主義』

「私は、子供が18歳になったら『家族解散式』というのをやろうと思っていて、それ以降は、パートナーと子供ともスープのさめない距離に住んで、名実共に個人単位で暮らしていきたいなと思っている。家族だって、ひとつの定義にすぎない。家族も個人のネットワークなんだ」(『結婚はバクチである』〈大和書房、1995〉)

「子どもが18歳になれば、『ごかってに』と言いたい。365日、24時間、他人の干渉なしに生きて、自分でも白紙の人生をどう生きるか考えたらいいし、私もそうしたい。私の場合は、子どものごはんや休みのいろんなやりくりをすることから『解放』されたいのだ。バンザーイ」(『福島瑞穂の落第子育てノート』〈主婦の友社、1996〉)

 こういう思想の持ち主が、夫婦別姓の推進者には多い。「名実共に個人単位で暮らしていきたい」というこの福島氏のことばがその象徴だ。ここでいう「名」とは、別姓のことであり、「実」とは、紛れもなく「家族解散」のことである。そして、個人だけになりたい。これらが彼らのいう個人主義である。別姓を導入すれば、即家族の絆が希薄化するとは考えづらいが、夫婦が氏をそろえる婚姻という儀式は大切な意味を持つ。どちらかがそのイエに入る。すると、今まで特別には感じなかった配偶者の先祖に対する祭祀にも、少しは履行を迫られる思いがするだろう。このような人生の転機を氏を統一することによって意識することは、その反対の離婚にも一定の歯止めがかかることになる。このような「かたち」をとっている今日でさえ、離婚率は憂うべき勢いで上昇し続けている。だのに、その「かたち」を排除してしまえば、いっそう増えてしまうにちがいない。こういう「かたち」を保守することが、荒廃した日本には必要だ。

 現行民法では、夫婦は氏を揃えなければならないという規定はあるが、これすなわち妻は夫の氏に合わせるべしとはならない。ただ、社会全般にそうする人が多いというだけのことである。ここに法的な男女差別ということは一切なく、ひとり通念として存在するのみということである。法律はすでに平等である。男女不平等感の解消のための別姓論者は、法律に変化を求めるのではなく、社会通念に求めていくべきだ。そもそも民法(家族法)とは、その国の価値観を反映する大切な規範であり、そうも容易(たやす)く変えてよいものではない。別姓の導入には、慎重な議論と検討が必要であり、そこで決定的な欠陥が指摘されない限りは変えてはならない。

 ■子どもを産まない楽しさを語る少子化相

「子どもを産む人生も産まない人生も等価値だ。『子持ち女一人前説』『子育て自己成長説』にも異議あり」(『産まない選択―子どもを持たない楽しさ』〈亜紀書房、1992〉)

「非嫡出子が一人でもふえていくことが今の日本では必要だ」(『結婚と家族』〈岩波新書、1992〉)

 少子化担当相の著作が、『産まない選択―子どもを持たない楽しさ』とは笑止である。ここまでくると、彼女がしたいのは、「少子化対策」ではなく、「少子化」そのものではないだろうかと疑ってしまう。「産まない」のと「産めない」のは別である。ただ、少なくとも国家は、「産みたい」という意思を芽生えさせるような政策をとるべきで、「産まない」価値を安易に奨励すべきでない。

 加えて、「非嫡出子が一人でもふえていくことが今の日本では必要」とも語っている。これは笑えぬ問題である。国家が「非嫡出子が一人でもふえ」るような政策をとってよいはずがない。これに一切の異は認めない。正当な夫婦間から生まれえぬ子どもに降りかかる幾多の災難に対して、福島氏はどういう認識をお持ちか。娘さんの苦労を他人の私ですら不憫に思うのだが、それすら感じないよう娘さんが洗脳されているとしたら残念だ。

 ■事実婚から同性婚、近親婚までなんでもあり

「結婚をしていようがいまいが、心はどうしようもなく動いていく。結婚をした後だっていろんな出会いがあるし、素敵な人に会うことだってあるだろう。また、人を好きになるときに『未婚』と『既婚』を振り分けているわけではない」(『結婚はバクチである』〈大和書房、1995〉)

「現行法のもとにおいても、結婚は個人と個人との結びつきであるとする憲法二四条一項の趣旨からも直系婚姻間の結婚についてまで、法律が禁止する必要はないのではないか」

「近親婚禁止をできるだけ狭めていこうという考え方も同じく、個人の結婚をするという自己決定権、幸福追求権を広げていこうという考え方のあらわれである」(いずれも『結婚が変わる、家族が変わる―家族法・戸籍法 大改正のすすめ』〈共書〉〈日本評論社、1993〉)

 夫婦別姓が認められれば、婚姻関係にありながら別氏を選択している(法律婚)か、事実婚かの区別が難しくなる。すると、両者の実態は同じでありながら、わが国の法体系が法律婚主義を採っていることはおかしい、との次なる声が今にも聞こえてきそうだ。こうなると、「結婚」という制度自体が特段の意味を持たなくなる。すなわち婚姻制度の否定である。出産・子育てに関して、安定した基盤となる婚姻関係が崩壊し、少子化に拍車をかける。少子化が進めば、国力は衰退する。貧しくなれば、結婚もできない。負の連鎖である。このような亡国へのストーリーを容易に想像できるような法案を通す道理があるのだろうか。全体わからない。

 世に絶対平等ということはありえない。これはちょうど球体に光を照射するようなもので、そこには必ず陰ができる。光源を移しても、どこかしらには陰はできるのだ。つまり、不平は永遠に拭いきれない。ならば、より小さな弊害で済むよう妥協点を見出すよりほかはない。今起きている問題と夫婦別姓を導入することによって起こる問題との軽重を衡量し、より陰の少ない方を選ぶのは当然だ。「フェミニスト」の多くには、もうあきらめしかない私だが、同じく別姓を望みながらも、それとは一線を画す女性には、今の不平を忍ぶことの方が望ましいことに早く気づいてほしい。

 また、職業的夫婦別姓論者のなかには、同性婚や近親婚に寛大なものも多い。「多様な価値観」というやつである。同性カップルに対する国民の理解を求めていこうとするならまだしも、法的に容認してしまうにはまだまだ国民的議論が足りない。以前とちがい、同性愛を許容しようと時代が流れつつあるのは存じ上げるが、まだ奇怪の目を投げかけてしまうのもまた事実である。

 それよりまして、近親婚には優性学的にかなりの問題がある。「結婚は個人と個人との結びつき」であるという話だけで済む問題ではない。近親婚は、その子どもに奇形や障害をもたらす要因にも数えられており、果ては人類の滅亡にもつながりかねない。相続上の混乱だって生じてくる。社会学的にも、同性婚以上に容認されないだろう。その上、これら同性婚や近親婚に寛容な人のなかには、人工妊娠中絶を規制することに反対する声も多い。人類に変調をきたしかねないこれらの「革命」は絶対に行うべきではない。
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プロフィール

オーデーベース

Author:オーデーベース
 顔と名前をお見せするその日のために、鄙見を認(したた)めてまいります。市政か、県政か、あるいは国政かわかりませんが、愛する日本と故郷のために勇往邁進することをお誓い申し上げます。

 人ひとりにできることは限られております。あるいは遺産も功績も何ら残せずに終えてしまうかもしれません。ただ、あのころの先人はよくやったと後世に云われたとき、その十把一絡げにされた先人のひとりにでもなれたのなら、それは大変喜ばしいことであります。子孫に少しばかりはわれわれを顧みてもらいたいなどというおこがましい希望はだれにでも起こりうるのではないでしょうか。それは、おおいに欲深い願望なのかもしれません。しかし、先祖を回顧していないわれわれだけが回顧されようなどという考えそれこそがおこがましいものであるにちがいありません。

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