スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

靖国にだけ参れぬ理由などあるはずがない

 戊辰戦争以降に殉国した英霊・246万6532柱(2004年現在)を祀っている靖国神社。だが、その靖国神社への首相の参拝は、これで5年間途絶えることになる。天皇陛下の親拝に関していえば、30有余年もの長きにわたって滞っている。その主な理由は、(1)A級戦犯が合祀されていること(2)政教分離に抵触することが挙げられる。

 ところが、(1)A級戦犯が合祀されていることを理由とする参拝自粛は、まったくの見当違いである。A級戦犯は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、チャーターなる「事後法」を用いて裁かれたため、法学的には「戦争犯罪人」でないうえ、国内法でも「戦争犯罪人」とはされていない(1953年8月3日衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」)。これには当時の社会党や共産党までもが諸手を挙げて賛同し、恩給や扶助料のもらえない遺族の声に応えている。

 また、どうしてA級戦犯の合祀はだめで、BC級戦犯ならよいのか。A級戦犯が通常の戦犯ではないのに対して、BC級戦犯は実際に罪を犯した――もっとも、冤罪は相当数に上るが――ものである。A級もBC級も単なるカテゴリー分けにすぎず、罪の軽重ではない。罪の蓋然性からいえば、むしろその逆といえるだろう。

 そのA級戦犯が靖国神社に合祀されていた事実をメディアが初めて報じたのは、1979(昭和54)年4月19日のことであったが、その際には中国や韓国からただの一件の抗議もいただかなかった。そればかりか、その後も大平正芳、鈴木善幸両首相が実に平穏に参拝している。ようやく批判――しかも、朝日新聞に――されたのは、中曽根康弘首相(当時)が在任中10度目となる参拝を行おうとしたときだ。A級戦犯が祀られている靖国神社に首相が公式参拝することは、戦前回帰、戦争礼賛につながる、という今となってはお決まりの文句がここから始まったのである。ところが、のちに中曽根氏が明かしたところでは、中国の小平(とうしょうへい)の後継者と目され、日本に近いとされた胡耀邦(こようほう)の中国国内での地位や権力を優位にするため、自らの参拝を取りやめたのだという。他国の権力闘争に目を奪われ、自国の尊厳を踏みにじった中曽根氏には失望せざるをえないが、A級戦犯云々はまったく関係なかったのである。

 (2)政教分離の原則から問題があるとするのもかなりの無理が伴う。それが最も顕著となるのは、首相や閣僚が年初に行うお伊勢参りに対して、まったくといってよいほど批判がなされないところだ。この伊勢神宮も、菅首相が代表選の祈願に訪れた大国魂神社も、靖国神社と同じ神道の宗教施設である。なぜ靖国だけは政教分離に反するのか。

 そもそも政治と宗教とを完全に分離することなどできるはずがない。日本で葬式といえば、仏式で執り行われることが過半だが、政治と宗教を完全に分離した世界では、首相や閣僚の親族や同僚が亡くなっても、「無宗教」、すなわち手を合わせず、祈ることもせず、ただ懐かしむだけのイベントにしか参加できないことになる。われわれはこんな「送別会」を望まないばかりか、聞いたことさえないはずだ。霊魂の不滅を基礎としない「無宗教」などふつうの日本人が受け入れるにはあまりに困難なのである。

 首相が政策に宗教を色濃く反映させ、国民に特定の宗教を押しつけたとしたら、それは言語道断といえるが、そうなったこと、もしくはその恐れがあったことはこれまで一度もない。それなのに、政治と宗教をいたずらに引き離して、ここに何の目的を見出すというのだろう。日本と同じく政教分離を採用する欧米諸国も、キリスト教の特定の宗派を支持しないよう要求されているだけで、キリスト教会に行ってはならないとはならない。憲法20条1項の信仰の自由を保障する同条1項後半、ならびに3項の政教分離の原則自体が不可能かつ無意味なのだ。

 では、どういう理由であれば、参拝しないことがありえるのか。それは首相や閣僚が特定の宗教を信仰しており、その教義上、神社へ参拝することが許されない――もっとも、神道自体は排他的要素を含まない――とすれば。だが、こういった宗教は国内ではほとんど布教されていない。ゆえに、これまで靖国神社への参拝をしなかった首相のいずれも、この由をもって拒んだことはない。大概は(1)A級戦犯が祀られていること、またはそのために外交上問題になるとして、困難から逃げていったのだ。国家国民の要請より、「何人に対しても」保障されるという信仰の自由を優先させるこの場合にのみ、首相が参拝しないことも一応認められる、認めざるをえないといえそうだ。

 首相や閣僚が国のために殉じたものを顕彰するのは自然であり、必要的な行為である。それをしないものを私は強烈に軽蔑する。日本の首相や閣僚、または政治家になるものは日本に国籍があるだけでなく、日本に生まれ育ち、愛着を持ったものが大半なはずだ。ならば、ふつうは神道に馴染みを持っているはずではないだろうか。神棚や仏壇はどの家庭にも標準的に完備され、初詣を神社で済ませ、盆や正月、彼岸といった節目には墓参りをするのが日本人の宗教儀式である。靖国にだけは参れぬ、との妄言が受容される道理などない。

スポンサーサイト

祝祭日の意義損なう連休分散化

 観光庁は30日、今年の春と秋に学校の休みをずらして連休をつくる取り組みを試験的に行うことを決めた。

 実施されるのは、東京・荒川区や福岡市など8つの自治体の小中学校で、このうち三重・亀山市内のすべての小中学校で4月30日を休みにすることで、ゴールデンウイークと合わせて7連休にするほか、静岡・島田市では一部の学校で10月8日を休みにしてハッピーマンデーと合わせて4連休とする。

 観光庁は現在、春と秋に長期連休を設け、地域ごとに取得する休暇分散化を議論している。今回の試験的な取り組みでは、親の有給休暇取得を促して家族との時間を増やし、休日が集中しない時期に家族の過ごし方がどう変わるかなどを見ていくことにしている。(31日付日本テレビ「休暇分散化 小中学校で試験的に実施へ」)


 ■大型連休分散化で国民の一体感が希薄に

 国民の祝祭日に対する意識が、さらに希薄になるのと同時に、国民の一体感をも奪ってしまう。そんな失政がいよいよ一部地域で試験実施されるようである。全国的に実施されれば、交通渋滞の緩和や割高な連休特別料金の消滅などが見込まれ、観光業の需要拡大につながるという。メリットはごもっともだが、反対に混乱を招きかねない。父親が単身赴任している場合などは、家族間で休日が異なる恐れがある。これこそ縦割り支配の弊害だ。

 観光庁は「親の有給休暇取得を促」すとのことだが、わが国における有休取得状況をどのように認識しているのだろうか。2008(平成20)年の有休取得率は47.4%である。平均18.0日ある有休のうち、実際に取得できたのは8.5日程度しかない。日本の労働者は、有休を取得しづらい環境に置かれているといってよいだろう。「休暇分散化ワーキングチーム(WT)」の座長を務めた辻元清美国交副相には、まず有休の消化しやすい環境から整備していただきたい。有休は、辻元氏らが大切にしてくれるらしい労働者の権利である。であるはずが、一般的に行使しづらい権利となっている。それを解消すると謳っていそうな社民党が閣内にいてこのありさまである。いったい毎日毎日何をするために国会に省庁に通っているのか。夫婦別姓や永住外国人への地方参政権付与などのほかごとで頭がいっぱいなのだろうか。やらなくてよいことをやり、やらなければならないことをやらない愚かな内閣である。

 ■ただの休日増やした“ハッピー・マンデー”

 「国民の祝日」を従来の日付から月曜日に移動させることによって、土、日、月曜日を3連休とする「ハッピー・マンデー制度」の導入によって、観光業界を中心に需要が増加し、経済的に潤ったのは事実であろう。だがしかし、祝祭日意識を希薄にさせた感はやはり否めない。成人の日や体育の日がいつだかわからず、毎年苦心する。「国民の祝日」を一休日にしてしまうのは、あまりにもったいないではないだろうか。これに対し、先のWTは、このハッピー・マンデー制度を廃止する方向で調整しているそうである。意図はちがっても、廃止自体は賛成だ。ここで祝日法2条で定められた祝日を今一度、確認されたい。

 元日(旧四方節) - 1月1日

 成人の日(小正月) - 1月第2月曜日

 建国記念の日(旧紀元節) - 2月11日

 春分の日(旧春季皇霊祭)  - 3月21日

 昭和の日(昭和の天長節) - 4月29日

 憲法記念日 - 5月3日

 みどりの日 - 5月4日

 こどもの日(端午の節句) - 5月5日

 海の日 - 7月第3月曜日

 敬老の日 - 9月第3月曜日

 秋分の日(旧秋季皇霊祭) - 秋分日

 体育の日 - 10月第2月曜日

 文化の日(旧明治節) - 11月3日

 勤労感謝の日(旧新嘗祭) - 11月23日

 天皇誕生日 - 12月23日


 京都産業大学教授の所功氏は、著書『「国民の祝日」の来歴検証と国際比較』(國民會館叢書、2008)のなかで、「祭日としての祝日」として、元日、春分の日、秋分の日、勤労感謝の日、みどりの日、「国家にちなむ祝日」として、建国記念の日、文化の日、海の日、昭和の日、天皇誕生日、憲法記念日、「人生にともなう祝日」として、こどもの日、成人の日、敬老の日、体育の日を分類している。この「祭日としての祝日」という奇怪な語は、皇室や神道と密接にかかわる「祭日」を嫌ったGHQに抵抗したことによるのだという。ならば、戦後65年を経た今、そろそろ「祭日」を取り戻してもよい時期が来たといえよう。よもや「祭日」が戦争に導くと考えるものはいまい。国民がともに祝い、祭るとき、国家国民の一体感は高められる。祝祭日意識を子どもたちに植えつける教育は、団結した国家作りに欠かせない。今こそ、祝祭日の意義をたしかめ、皇室を思い、国を尊び、祖先や両親に感謝しよう。
来訪者数
滞在者数
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
カレンダー
07月 | 2017年08月 | 09月
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
挨拶
 平素より小欄をご尊覧賜っておりますこと心より感謝申し上げます。

 また、日ごろ綴っております鄙見に対しましても、みなさまより分を越えた「ブログ拍手」をいただいておりますことをありがたく存じております。「ブログ拍手」という性質上、おひとりおひとりに謝意を表することは叶いませんが、いただいた一拍手一拍手の積み重ねをご高評のバロメーターとさせていただくことにより、日々指針に反省と修正を加えております。欠礼をご容赦願うとともに、厚く御礼申し上げます。

プロフィール

オーデーベース

Author:オーデーベース
 顔と名前をお見せするその日のために、鄙見を認(したた)めてまいります。市政か、県政か、あるいは国政かわかりませんが、愛する日本と故郷のために勇往邁進することをお誓い申し上げます。

 人ひとりにできることは限られております。あるいは遺産も功績も何ら残せずに終えてしまうかもしれません。ただ、あのころの先人はよくやったと後世に云われたとき、その十把一絡げにされた先人のひとりにでもなれたのなら、それは大変喜ばしいことであります。子孫に少しばかりはわれわれを顧みてもらいたいなどというおこがましい希望はだれにでも起こりうるのではないでしょうか。それは、おおいに欲深い願望なのかもしれません。しかし、先祖を回顧していないわれわれだけが回顧されようなどという考えそれこそがおこがましいものであるにちがいありません。

ご意見・ご感想
 「FC2公式メールフォーム」を使用している都合上、ご入力いただく項目はすべて必須入力となっておりますが、お寄せいただいたご意見やご感想をご本人様に断りなく公開させていただくことはございません。

 みなさま方の忌憚のないご意見とご感想をお待ちしております。

お名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
バナー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。