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新在留制度スタートまであと1年

 来年7月より、わが国に3ヶ月以上在留する外国人が日本人同様、住民基本台帳に記載されるようになる。2009(平成21)年7月に「出入国管理及び難民認定法(入管法)」と入管特例法、住民基本台帳法が改正されたためだ。これによって、現行の外国人登録制度は廃止され、新たに配布される在留カードにより、管理されることになる。

 これまでの外国人登録制度は、在留許可を与える外務省と外国人登録を行う市区町村とが情報を二元的に管理していた。そのため、翌年度に徴収される住民税や健康保険料を納めることなく、サービスを受け、帰国する中期滞在者や各地を転々とする不法滞在者が後を絶たなかった。本改正の最大の目的は、この点を厳しく取り締まることにある。

 はずだったが、2009年7月に行われた法改正であることからわかるように、これらの法律は公明党や民主党の影響を色濃く受けた。附則に経過措置規定が置かれているため、不法滞在者も外国人登録証を所持していれば、しばらくはこれまでどおり、合法的に滞在しているものとみなされる。不法滞在者を一掃するはずが、数年間の延命措置を講じているのだ。民主党には、アムネスティ条約を援用して、彼ら不法滞在者も住民基本台帳に登録できるよう法整備することを検討している一団さえある。数年の猶予につけ込み、再改正が行われては元も子もない。

 原案では、外国人が勤務先や就学先を行政機関に届出し、所属先には受け入れ状況について報告する義務が課せられていたが、修正案では、努力義務にトーンダウンしてしまった。外国人の多くは仕事を求めてやってくる。外国人の職業を正確に把握することが不法滞在の取り締まりに最大の効果を上げるということを忘れてはいまいか。

 特別永住者が出国する際に必要な再入国許可が2年以内であれば、不要となったうえ、再入国許可の有効期間が4年から6年に延長された。もともと特別永住者は、一般の永住者が3年の有効期限のところを4年とするなど寛大に扱われてきた。本制度のねらいが外国人の身分関係を定期的に確認し、不法滞在を撲滅することにあるなら、例外存置は間違いだ。

 また、外国人登録制度では、短期滞在者や外交官などを除く外国人に対しては、外国人登録証を携帯することが義務付けられていたが、新制度では、特別永住者に対して新たに発行される特別永住者証明書の携帯義務が消えてしまった。だが、特別永住者の大半を占める在日韓国人は、「外国籍を有する外国人であるが、外国人意識が希薄である」(鄭大均『在日韓国人の終焉』〈文春新書、2001〉)。外国人を一律に捕捉するためにも、彼らの意識を高めるためにも、やはり携帯義務が必要なのではなかったか。

 これによって、わが国に滞在する外国人は、短期滞在者を除いて、(1)中長期在留者 (在留カード)(2)特別永住者(特別永住者証明書)(3)難民申請前の一時庇護許可者(一時庇護許可書)(4)難民申請中の仮滞在許可者(仮滞在許可書)(5)出生による経過滞在者(6)国籍喪失による経過滞在者と区分できることになった。(5)、(6)については、入管法の規定により、出生、または国籍が喪失した日から60日に限り、在留することが可能だが、いずれにも当てはまらない不法滞在者は行政サービスの対象から外れる。声高に差別を叫ぶものもいるが、難民については相応に保護している。不法滞在者を黙認することの方がむしろ、正規に滞在する多くの外国人を差別しているのではないか。
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共生に欠かせない外国人の身分保障

 ――入国に関しては、わが国の法律や秩序、習慣を守れるか否か。

 ――社会保障に関しては、わが国の国籍を有するか否か。有しない場合は難民か否か。

 ――帰化に関しては、他国との比較において、わが国のために最優先に行動できるか否か。

 このくらいのことを外国人に求めるのは、ごく自然のことだと私は思う。「再入国禁止の措置は、実は善良な在日朝鮮人を理不尽な重荷から解放する」(2003年10月15日付西村真悟ホームページ「5分で読める西村マニフェスト」より)といったのは西村眞悟前衆院議員であるが、これを借りるならば、前述の要請は多くの「善良な」外国人を「理不尽な重荷から解放する」ことに資するものだ。規律はむしろ、外国人を保護する。

 不逞(ふてい)な外国人を排除し、善良な外国人を受け入れるのは、国家としての当然の責務だ。それをこれまで怠ってきた結果がどこの馬の骨かもわからない不法滞在者の大量潜伏である。この解決策のひとつとして、街で外国人を見かけたとき、この人がいかなる経緯で入国した人か、国民が関心を持つ世の中にすることである。すなわち、現在の複雑な外国人の分類を簡素化し、一部の外国人にだけ与えられた例外を廃するのである。

 一方、日本の看護師免許の取得を目指して来日し、熱心に勉学に励んできたインドネシア人の看護師候補生(現地では看護師として活躍)に対する仕打ちにはさすがの私も辟易とした。彼女たちは日本の法律を遵守し、日々勉強に励んでいる誠実な勤勉家だ。飲食店で働きながら、平然と不法滞在を続ける外国人とはわけがちがう。それなのに、われわれ日本人でさえ読むに窮する難解な漢字を試験に出して、その夢を必死に塞(ふさ)ごうとする。

 彼女たちが日本の高い医療体制下で学び、経験を重ねることによって、いずれ国に帰れば、たいへんな数の同胞を救うことができる。そして、日本での思い出を語らえば、多くの人が「見えない日本」を知り、関心は高まる。もしかしたら、評判も上がるかもしれない。人道目的の国際貢献でありながら、日本を発信するよい機会でもあるのだ。それをみすみす逃すとはいったい何ゆえか。

見えてこない“中京都構想”

 首都圏なら東京・横浜・千葉、関西圏なら大阪・京都・神戸――都会には広がりを持った区域が存在する。しかし、中部圏は名古屋ひとつだ。帯や線でなく、点に近い。中部がここを「弱さ」「脆さ」と捉えて、帯や線でつなぐような施策を実行できれば、福岡や仙台、札幌のよき模範となれるだろう。

 かつて中部圏には東海道が通い、往来は活発だった。歴史や伝統のある地域もある。これを生かし、たとえば静岡県の浜松、愛知県の岡崎、三重県の四日市と連帯する。

 このような発想は先日、愛知県知事選挙で初当選を果たした大村秀章知事の「中京都構想」に近いのかもしれないが、「都」という名称がどうにも気に障る。石原慎太郎東京都知事の「『都』を使う限り私は賛成しない。国に2つも3つも都があるわけがない」(12月10日)との言は正当で、日本において「都(みやこ)」といえば、皇居の位置するところを意味する。遷都でもしないかぎり、都を名乗ることはできない。おそらく「都構想」の元祖・橋下徹大阪府知事も、「都」のような特別区の編成を目指しているのであって、本当に「大阪都」としたいのではあるまい。

 呼称はさておき、「中京都」にに潜む問題はないか。

 まず私はひとつの誤解を犯していた。「中京都」が名古屋市の解体・再編を意味するものだと思っていたのだ。名古屋が消えて、自治体や首長、議会が増える、と。だが、どうやらそうではないらしい。首長の選出も東京都と異なり、公選制を採らない。また、名古屋市というのも消滅しない。

 批判がひとつ消えたところで、新たな疑問が沸いてくる――これで何が変わるのか。あるいは、名古屋にそれほど多様な行政サービスが必要なのか。

死刑を執行せぬ法相は去れ

 菅直人第二次改造内閣が発足し、はや三月が経過しようとしている。ところが、死刑執行の任にある江田五月法相が決断を下す気配はいっこうない。江田氏は「死刑廃止を推進する議員連盟(死刑廃止議連)」のメンバーで、法相就任直後の会見でも「死刑という刑罰はいろんな欠陥を抱えた刑罰だと思う」(1月14日)と述べるなど死刑制度に否定的な見方を示している。

 では、江田氏ら死刑廃止論者はなぜ死刑に反対するのか。主なわけは(1)憲法違反(2)世界の趨勢(3)冤罪の可能性があるからだという。

 まず、(1)残虐刑の禁止を定めた憲法36条は、「火あぶり」や「市中引き回し」といった残虐な執行手段を禁じたものであって、死刑自体を否定するものではない。死刑の執行は個人の報復権を取り上げた国家と取り上げられた国民との大事な社会契約だ。もし政府がこれを履行しなければ、「万人の万人に対する闘争」が始まりかねないでないか。個人やスナイパーによる殺人の連鎖よりかは、「国家による殺人」をはるかに肯定したい。

 (2)世界情勢から廃止すべきというのはどうだろう。現在、世界が死刑廃止の潮流にあるのはたしかで、EU(欧州連合)や国連は日本をはじめとする存置国に対し、死刑の廃止を求めている。しかし、この日本もかつて執行を取り止めていた。810年の薬子の乱以降、346年にわたって都での死刑執行を見送っていたのである。それがなぜ復活したのか。保元の乱が始まり、秩序が乱れたからである。個人的には死刑に抑止力を認めないが、こうした歴史の要求は重く受け止るべきだろう。殺人等の凶悪犯罪に対する死刑制度の要不要は、当該国の歴史や伝統、文化を尊重すべきである。

 (3)冤罪の可能性があるというのはたしかだ。しかも、死刑は生命を絶つという点で、ほかの刑罰とは異なり、名誉回復や賠償による施しも叶わない。最も不可逆的な刑罰といえる。しかし、これは死刑に限ったことか。たとえば、懲役刑を受けたものが冤罪であったにもかかわらず、服役し、その最中に死亡した場合はどうだろう。同様の問題が生じないか。つまり、死刑廃止論者が主張する終身刑を導入しても、獄中死によって賠償不能に陥る可能性は尽きないのである。

 一方で現在、冤罪の可能性が高いとされる死刑囚に対しては、法相の裁量で刑の執行が見送られている。刑事司法の抱える問題を補い、歯止めをかけるためなのだろうが、こうした措置を維持するのであれば、執行された死刑囚の氏名を公開すべきでない。否認すれば執行されないという口碑を公認することになりかねないからだ。刑事司法や死刑制度を透明化してきた近年、そこから得られる利益をかえって狭めていないだろうか。

 法があり、それが違憲立法でない以上、法は守るべきものである。現在、わが国の死刑囚は107人(1月5日現在)を数える。歴代の法相が刑事訴訟法の執行を怠ってきたからだ。明日をも知れぬ死刑囚の生命を弄ぶ――これこそ39条にいう残酷な刑罰でないか。刑事訴訟法475条2項は、法相の恣意的な裁量によることがないよう「判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない」と定めている。江田氏が法令に背く限り、「死刑囚の人権」は保障されない。

消費者庁1年

 消費者の事故やトラブルを防ごうと国の消費者庁が設立してから、1日で1年になります。消費者庁は、この1年、ライターや車のパワー・ウインドーなどで子どもがけがをした事故で、いち早い注意の呼びかけをできなかったことから、今後、これまでの「製品自体に原因がある」ケースに限 らず注意の呼びかけを増やしていくことになりました。(1日付NHKニュース「事故情報 範囲広げ注意喚起へ」)


 私も福田康夫元首相の功績を探し出すのに苦労する国民のひとりだが、誰に吹き込まれたか、突如として意欲を持ち始めた消費者庁構想(設置法は麻生太郎内閣で成立)そのものについては、ある程度評価してよいものではないかと思う。

 消費者庁とは、「各省庁縦割りになっている消費者行政を統一的・一元的に推進する」(2008年1月18日施政方針演説より)目的で、2009年(平成21)9月に発足した庁(内閣府の外局)で、内閣府、農林水産省、経済産業省、公正取引委員会などの関係省庁から約200人の職員を集めて組織され、行政処分や行政指導、他省庁への勧告などを実施している。

 2005(平成17)年に相次いだ耐震偽装を皮切りに、湯沸かし器やエレベーター、ベビーカーの製品事故、ミートホープや船場吉兆による食品偽装、マルチ商法やリフォーム詐欺などの悪徳商法が次々と明るみに出てきた。耐震偽装問題についてはその後、建築基準法を過剰に強化したため、一時的に住宅着工戸数が激減するなど別の問題も引き起こしている。そのような折、規制とは異なる消費者保護、すなわち消費者行政一元化の必要が出てきたということである。

 消費者庁創設を提言した消費者行政推進会議は「守るべき3原則」として、「国民目線の消費者行政の充実強化は、地方自治そのものであることを忘れてはならない」「消費者庁の創設は、決して行政組織の肥大を招くものであってはならない」「新たな消費者行政の体制強化は、消費活動はもちろん、産業活動を活性化するものでなければならない」ことをあげている。この方向性はまことに正しい。しかしながら、現在の消費者庁では、耐震偽装や振込み詐欺、ヤミ金融といった消費者問題の本丸に対処することはできない。なぜなら、既得権を放したがらない既存の省庁の抵抗によって、消費者庁に全面移管された法規範は「製造物責任法(PL法)」や「景品表示法」などごく一部にとどまり、消費者庁が所管する法律はわずか29にすぎないからだ。消費者関連の法律が約1800あることからすると、この数字がいかに少ないものかがよくわかる。これでは許認可の付与・剥奪による行政の肥大化を懸念するよりも、むしろ消費者庁が形骸化する恐れも否定できない。今後もたゆまぬ改善が必要だ。

 それでも、消費者行政の必要に賛同するわけは、もう少し長期的なところにある。たとえば、日本の住宅価格は欧米その他のそれに比べてきわめて高い。尋常でなく高い地代を抜きに考えてもやはり高い。その要因としては、地震が多いうえに、「万全を期す」気質の強いわが国らしく、耐震性など性能に対する条件が極端に厳しいことも挙げられるが、消費者が「高いもの」や「ブランド」を重視する傾向にあることもそのひとつである。住宅を購入するということは、一生にそう何度もない大きな買い物である。よって、少々のコスト高よりも、安心を優先するのは当然といえよう。

 だが、「高いもの」だから安全なのだろうか。「ブランド」が安全をもたらすのだろうか。答えは否である。消費者がここから得られるものは、単なる安心、もっといえば、「安心」であって、安全ではない。消費者に安全をもたらすのは、「ブランド」ではなく、技術力である。そうはいっても、大手ハウスメーカーによる建物とそうでないのとでは得られる安心がちがうという意見もあろう。私はそこをバックアップするのが消費者庁となることを切に願う。つまり、たとえ「高いもの」でなくとも、「ブランド」でなくとも、製品に問題があれば、ハウスメーカーに相当の保障や賠償を請求することかできる。要するに、消費者行政を強化することによって、技術力に劣るものが淘汰されていく正当な図式ができあがるのだ。

 これは住宅だけではない。国民生活センターによる品質テストの強化、製造者に対する損害賠償請求(PL法により、請求自体は可能だが、手続きが煩雑)が容易になれば、「高いもの」への安心感や「ブランド」力といった本来、商品が持つ価値とは無関係な基準に踊らされることがなくなる。ゆえに、名こそないが、良質な製品を製造する優良な企業が日の目を見ることにもつながる。こうなれば、有名メーカーもおのずと商品価格を下げざるをえない。消費者の「ごね得」や「クレーマー」は許すべからざる問題だが、消費者の保護は安心・安全・低価格な市場の形成に寄与する。ひいては、消費者保護が日本ブランドの質を向上させていくのだ。「安いがゆえの泣き寝入り」は、消費者にとって不利益となることはもちろん、製造者にとってもマイナスとなる。消費者行政の強化が強く明るい日本を創るのではないだろうか。
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プロフィール

オーデーベース

Author:オーデーベース
 顔と名前をお見せするその日のために、鄙見を認(したた)めてまいります。市政か、県政か、あるいは国政かわかりませんが、愛する日本と故郷のために勇往邁進することをお誓い申し上げます。

 人ひとりにできることは限られております。あるいは遺産も功績も何ら残せずに終えてしまうかもしれません。ただ、あのころの先人はよくやったと後世に云われたとき、その十把一絡げにされた先人のひとりにでもなれたのなら、それは大変喜ばしいことであります。子孫に少しばかりはわれわれを顧みてもらいたいなどというおこがましい希望はだれにでも起こりうるのではないでしょうか。それは、おおいに欲深い願望なのかもしれません。しかし、先祖を回顧していないわれわれだけが回顧されようなどという考えそれこそがおこがましいものであるにちがいありません。

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