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「仰げば尊し」回避にみる日教組の傲慢

 公立の小中学校ではちょうど卒業式を迎える頃だろうか。卒業式といえば、定番の歌ともいえる「仰げば尊し」が思い起こされるが、この歌は今年も多くの卒業生の感涙を誘うことだろう。

 明治17(1884)年発行の『小学唱歌集』に収録されて以来、「仰げば尊し」は作詞作曲とも長く謎とされてき、起源はスコットランド民謡だ、いや賛美歌だ、などと推測されてきた。しかし今年1月、一橋大名誉教授の桜井雅人さんによって原曲とみられる米国の歌の楽譜が発見された。直訳の曲名も「学校教育の終わりのための歌」というから、もともと卒業の歌だったわけである(1月25日付本紙=大阪発行)。

 ◆2番を避ける理由

 「仰げば尊し」は3番まであり、それぞれの歌い出しを紹介すれば1番が「仰げば尊し わが師の恩」、2番が「互いに睦(むつ)みし 日頃の恩」、そして3番が「朝夕なれにし まなびの庭」となっており、いずれも「今こそわかれめ いざ さらば」で結ばれる。簡潔な文語調の詞には気高い精神がうたいあげられている。

 さて問題は、この2番の歌詞である。学校の音楽教科書などでは2番が省かれることが多く、ちなみに手に取った小学校の音楽教科書(6年用)3点はみな、1番と3番を載せるのみである。

 2番を避けるのは、そこに出てくる「身を立て名をあげ」の詞が「立身出世」を奨励するかのようにとらえられるから-というのが、どうやら通説であるらしい。「かけっこは、みんなで一緒にゴールイン」「先生と生徒は友達関係」といった教育現場の変な平等主義をここにも垣間見るような気がしてならない。

 よしんば、この詞がいわゆる立身出世の勧めであるとしても、将来に大きな夢を描く子供たちが立身出世を願ってどこが悪いのか、全く理解に苦しむ。なにも、「心も金で買える」と言ってのけた起業家のような金満家になれというのではない。若者らしく雄飛せよ、社会を動かすほどの優れたリーダーを目指せと教えることの、いったいどこが悪いのか…。

 ◆「身を立て」は親孝行

 実はこの詞の本当の意味は、いわゆる立身出世とは全く違ったところにある。『小学唱歌集』の編纂(へんさん)に大きく貢献した伊沢修二は『洋楽事始』を著したが、同書(平凡社東洋文庫)の解説で校注者の山住正己が「仰げば尊し」の成立経緯を詳細に記している。

 それによれば原案は「身をたて名をたて」だったが、「庭の千草」の作詞で知られる里見義(ただし)が『孝経』の「立身行道挙名後世」を引きながら、「身をたて名をあげ」に訂正すべきだと言い、それが採用されたというのである。

 講談社学術文庫『孝経』(加地伸行訳注)に当たってみたところ、この一節は世間で言う立身出世の意ではなく、「りっぱな人という評判を得、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる」として親孝行を説いたものであるとの由。加えて「身を立て」とは「身を孝に立つ」ことだとも注されている。

 同じ中国の『詩経』にも「爾(なんじ)の所生(しょせい)(親)を忝(はずかし)むることなかれ」と、父母の名を貶(おとし)めることのないよう戒める詞章がある。日本では江戸時代、身を修める教科書として『論語』や『孝経』、『詩経』が盛んに読まれ、明治期でも知識人は、それら中国の書物によって教養と精神を高めたのだった。「身を立て名をあげ」の意味は当時なら、多くの人に正しく理解されたのではなかろうか。

 ◆復活させた教科書も

 「仰げば尊し」はこのように、1番で「師の恩」を、2番で「親への孝行」をうたうという構成になっている。それにもかかわらず、現行の教科書が「立身出世」への誤解から2番を抜いているとしたら残念至極だが、ただ、この4月から使用される新改訂の教科書では2番を復活させたものも登場した。朗報といえよう。

 もちろん復活といっても、「仰げば尊し」そのものが歌われないことには何の意味もない。1月に開かれた日教組の教研集会では、ある小学教師がこの歌を歌わせないよう根回ししたとの報告があり、「『君が代』『仰げば尊し』の強制は子供たちのためになっているのか」と強調したそうだ。

 教員の私的な思いを子供らに押しつける教育で、そんな発言に対して仮に他の教師から何の反論も起きなかったのであれば、教研集会は異常というほかない。

 それにしてもこの春は、卒業式どころではないであろう東日本大震災の被災地の惨状が脳裏を離れない。ふと口ずさんでみる「仰げば尊し」も、静かな旋律が哀調をかきたてるように胸に重く響いてきて、何とも切ない。(せこぐち さとし)(20日付産経新聞「【土・日曜日に書く】論説委員・清湖口敏 仰げば尊し『父母の恩』」)


 みなさんは卒業式で何を唄われただろうか。私の記憶をたどれば、「門出の歌」「大地讃頌」「旅立ちの日に」「仰げば尊し」……。しかし、「仰げば尊し」はたいてい2番を省かれた。産経新聞論説委員の清湖口敏氏は20日付の産経新聞で、教育学者の故山住正己氏の言説を引き、2番を親孝行の詩と解説しているが、1、3番の構成や2番の歌詞が「名をあげ」「やよ励めよ」となっていることなどから、従来通り、「立身出世」と解釈することが可能であり、妥当であると思われる。

 ともかく、削除された理由を知ったのは数年前。意味がわからぬまま唄わされていた「仰げば尊し」に胸を打たれたのを覚えている。と同時に、日本教職員組合(日教組)がこれを嫌うわけもわかった。日教組は人はみな平等であるという理念のもと、教師を仰ぐ対象とはしない(しかしながら、仰がれることを厭う教師にいまだかつて出会ったことがない)。仰ぐような詩はダメなのだ。それゆえ、卒業式で「仰げば尊し」を回避し、「旅立ちの日に」を唄う学校が増えている。だが、卒業式は友人とともに、両親や教師に感謝し、自らの卒業を祝ってもらうイベントである。すべてをそろえる楽曲は「仰げば尊し」をおいてほかにない。
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受験生の意欲殺ぐセンター試験「外国語」

 平成23年度の国公立大学の2次試験が今月25日、スタートする。第一関門の大学入試センター試験の「外国語」では、選択5科目中で「英語」の平均点が8年連続最低となり、トップの「韓国語」とは100点満点換算で13点以上の差があった。得点調整はなく、「英語選択者が不利」という声も出ている。

 センター試験の外国語は5つの言語から選択する方式。今年の平均点トップは韓国語で74・94点。フランス語(71・19点)▽ドイツ語(71・08点)▽中国語(67・07点)と続き、最下位が英語の61・39点。17年度には韓国語と21点の得点差が出ている。

 同じ教科の選択科目で平均点に20点以上の幅がある場合、社会や理科では15点内に収まるよう得点調整されるが、外国語ではない。

 文部科学省では「英語の選択者が圧倒的に多いため、公平な得点調整ができない」と説明する。外国語の受験者約52万人のうち、英語選択者は50万人以上。他の言語の受験者数との差があまりに大きいため、統計上、正確な得点調整は不可能という。

 事前に平均点が同程度になるように、難易度を調整することも理論上、可能だが、それも行われていない。文科省の担当者は「英語以外は、受験生のほとんどが在日外国人や留学経験者が中心。得意だから平均点が上がる」と指摘する。

 外国語を英語以外からも選択できる制度は、2年度のセンター試験当初からあった。それ以前は仏・独語だけ。9年度に「教えている学校が多い」(文科省)と中国語が加わった。

 韓国語が加わったのは日韓共催でサッカーW杯が行われた14年度。韓国政府の要請を受けて政府が決定した。理由を中川秀直官房長官(当時)は「W杯があり、そういう流れの中で若い世代を中心とした交流を一層促進させる狙い」と、説明している。

 ジャーナリストの野村旗守氏は「少なくとも韓国語は、外交上の理由で加えられた。その結果、英語選択者が相対的に不利になっているといえる。試験のあり方が議論になってもおかしくない」と指摘している。(7日付産経新聞「英語不利? センター試験の平均点、外国語で8年連続最低」)


 これも特権のひとつである。今年行われた大学入試センター試験の外国語でも、英語の平均点が最低となった。トップの韓国語とは100点満点(英語は200点満点のため)で13点以上の開きがあったという。

 これは今年に限った話でない。ひどいときには20点以上の差が開くこともあるが、得点調整の規定はない。英語は文理を問わず、多くの受験生が多大な時間と犠牲を払って取り組む難関科目である。しかし、英語は他の4科目に比べて、相対的に難しいと指摘する専門家は少なくない。これで公平性が保たれているといえるか。

 大学入試に韓国語を採用していることも不自然だ。通常、大学の教養課程に置かれるのは、ドイツ語、フランス語、中国語の3ヶ国語で、イタリア語や韓国語などはワンランク落ちる。ドイツやフランスと比べると、歴史や文化の集積も薄い。そもそも韓国語には、独仏中語と肩を並べる資格がないのだ。

 個人的にも、物理と地学の平均点が得点調整の行われる20点にわずか零コンマ数点届かず、苦い経験をしたことがある。受験生にとっては、ナーバスな問題だ。政府や政治家が本当に学力向上を目指すのなら、受験生の意欲を殺ぐこうした制度の改正を訴えるべきでないか。

英語必修化への準備は万端か

 今春から実施される新しい学習指導要領によって、小学校高学年の「外国語活動(英語)」が必修となる。週1時間、年間35時間の授業が割り当てられるが、正式な教科でないため、評価の対象にはならない。

 すでに多くの小学校では、「総合的な学習の時間(総合学習)」などの時間を利用して、授業に英語を取り入れている。英語を母国語とする外国語指導助手(ALT)が派遣されるケースもあるが、大半は学級担任が指導に当たるという。にもかかわらず、英語の教員免許を所持する小学校教諭はわずか3%程度だ。大学のリベラル・アーツ(一般教養)程度の英語力では心もとないうえ、向上の好機である受験勉強を経ずに進学する場合さえありうる。正式な教科でないとはいっても、無免許の教師が教えるべきではないだろう。

 また、生徒の興味を惹くことに主眼を置くあまり、クイズや音楽を用いたゲーム性の高い授業が展開されている。生徒の関心を高めることが切要なのはいうまでもないが、この手の授業は一時的に注目を集めるにすぎず、よくて思い出、悪ければブレイク・タイムに止まる。ゲームを企画するのに苦心している教師も多いといわれ、このままでは従来の担当教科の準備に当てる時間を割かれかねない状況だ。

 こうした教える側の問題もさることながら、そもそも小学校から英語教育を行う必要があるのだろうか。当然のことながら、日本の小・中学校で行われる授業には、日本語が用いられる。一見、記号の羅列に見える数学といえども、日本語による説明なしには成り立たない。それゆえ、稚拙な国語力では国語はもとより、その他教科も理解不能に陥る危険性が潜む。まして自主・反復を要求される語学となれば、解説文を独りで読みこなせる力が要求されるのは必然である。

 われわれが学ぶ英語とは、人が最初に覚える純然たる母国語と異なり、母国語を介した外国語にすぎない。母国語と外国語が絶えずキャッチボールを続けることになるのだ。たとえば、“I love you.”という英語の主語と目的語の関係が恋人同士であったなら、そのまま「愛している」でよいが、牧師と教徒の間であれば、「慈しむ」が最適であるのはご承知のとおり(もっとも、「愛している」が氾濫してしまった昨今、原義はすっかり失われてしまった)。もしこうした日本語がすぐに浮かばないとすれば、それは英語力の欠如ではなく、母国語力の壊滅と捉えるべきだろう。

 近ごろは「国際人になるため」幼児教育においても、英語教育が取り入れられているという。たしかに、幼ければ幼いほど外国語が母国語に接近するため、英語を話せるようにはなるだろう。しかし、彼らが話すのは日本語と英語が混在した、悪い言い方をすれば、帰国子女にありがちな空虚な言語だ。脆弱な母国語が繰り出すうつろな外国語は、真の国際人が最も忌むところである。たとえ時間があっても、小学校では母国語以外の言語に費やすべきではない。

 言語は思考する上でも大きな役割を担う。思考は言語を駆使して初めて叶うのだ。混迷を極めるこのご時世、生きる力、精神力を高めるためにも、母国語をこそ強化すべきでないか。

どこまで甘える、朝鮮学校

 川崎市の「川崎朝鮮初級学校」の教員が平成20年8月、北朝鮮・平壌で行われた「教員祖国研修」に参加した際、市が渡航費などを補助金で負担していたことが19日、監査請求資料などから明らかになった。研修は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の主催だった。ほかにも補助金の支出先が朝鮮総連になっているケースがあり、「不適切な支出」との指摘が出ている。朝鮮学校への補助金支出の必要性が改めて問われそうだ。

 川崎市は10年度から市内の朝鮮学校2校に「研修費補助金」を交付。20年度は計34万7千円が支出された。

 問題の教員祖国研修は平壌の人民大会堂で行われ、川崎朝鮮初級学校の教員1人が7泊8日の行程で参加した。渡航費13万円を含む参加費18万円のうち、10万円が市の負担だった。

 目的は「母国語の向上」となっており、実質的な研修は3日間だけで、残りは「平壌見学」や「休息」「意見交換」「出発準備」など。市に提出された研修の報告書には「受講」「実技」などとしか書かれていなかった。領収証の写しもなく、提出文書には不備が多かったことから、市監査事務局は「国交のない国での研修は実施の有無や内容の確認が困難で詳細な報告が必要」と指摘。市はチェックの甘さを認め、「真摯(しんし)に反省している」とした。

 西岡力東京基督大教授は「わざわざ平壌に出かけて研修をする必要性は乏しい。公金で渡航費の面倒をみる妥当性もない」と批判している。

 このほか、朝鮮学校の「全国校長会議」「全国教務主任講習」「職員短期講習」などが朝鮮総連の施設で開かれ、補助金が会場費にあてられていた。公金が朝鮮総連に流れていたことになる。

 学校側は行事の開催場所を「神奈川県教育本部ホール」として申請していたが、実際の施設名は「朝鮮総連神奈川県本部大会議室」だった。(20日付産経新聞「川崎市が平壌研修に補助金支出 朝鮮学校教員の渡航費用を負担」より)


 川崎市の朝鮮学校教員が2008(平成20)年に北朝鮮で行われた「教員祖国研修」に参加するのにかかった費用の一部を同市が負担していたことが19日、わかった。朝鮮学校への補助金支出をめぐっては先日、神奈川県が凍結していた今年度分の補助金を解禁すると決めたばかりだった。

 日本の自治体が朝鮮学校に支払う補助金は、1年で8億円に上る。朝鮮学校にも私立学校振興助成法が準用されるからだという。だが、朝鮮学校は一般の私立学校と異なり、教育基本法・教育関連3法に反する教育を行っている不健全な団体だ。拉致問題を「日本当局は『拉致問題』を極大化し、反共和国、反総連、反朝鮮人騒動を大々的に繰り広げることで日本社会には極端な民族排他主義的雰囲気が醸成されていった」としたり、大韓航空機爆破事件を「南朝鮮当局はこの事件を『北朝鮮工作員金賢姫』が引き起こしたとでっち上げ、大々的な『反共和国』騒動をくり広げ、その女を第13代『大統領選挙』の前日に南朝鮮に移送することによって盧泰愚『当選』に有利な環境を整えた」(いずれも「現代朝鮮歴史 高級3」〈星への歩み出版〉)とする教科書を用いるなど日本の学校教育とは到底、相容れない教育を行っている。

 助成や補助金については、同法5条1号で「法令の規定、法令の規定に基づく所轄庁の処分又は寄附行為に違反している場合」の減額が認められている。減額しろといいたいところだが、そもそも「公金その他の公の財産」を「公の支配に属」さない学校に支出することは憲法上、許されないのだった。誠に残念だが、補助金は出したくても出せない。

 民主党が行った高校授業料無償化の唯一の功績は、自民党政権時代から続いていた補助金の不正支出が明るみに出たことだ。先の教育関連法規範を守れないという点では、竹島や北方領土を自国領だと教える韓国学校やロシア学校に対する補助金が不適切なこともわかった。韓国に至っては、わが国の財政でまかなう日本の公教育にまで干渉を強めてくるのだから、わが国の財政でまかなう韓国学校への指導も拒みはできないだろう。日本の公費で日本を貶める外国人学校は、いったいどこまで甘えるつもりだ。

北朝鮮の手先である朝鮮学校は堂々と除外せよ

 中井洽拉致問題担当相が、4月から実施予定の高校無償化に関し、在日朝鮮人の子女が学ぶ朝鮮学校を対象から外すよう川端達夫文部科学相に要請し、川端氏ら文科省の政務三役が検討に入ったことが20日、分かった。政府関係者が明らかにした。

 無償化では、朝鮮学校を含めた外国人学校を対象とするかが焦点の一つとなっている。中井氏は北朝鮮に経済制裁を続けても、日本人拉致問題でなんら進展が見られない現状を考慮して、北朝鮮に対し強い姿勢を示すため除外を求めたとみられる。

 中井氏は川端氏らへの要請を踏まえ、国会内で17日に開かれた拉致問題に関する政府、与党の会合で「朝鮮学校を無償化の対象としないよう努めている」と表明していた。(21日付産経新聞「朝鮮学校「高校無償化除外も」中井拉致相が文科省に要請」)


 ご承知の通り、朝鮮学校とは、在日朝鮮人の子女に対して、北朝鮮本国にも劣らぬ民族教育を行う学校である。これまで民主党の目玉公約である「高校無償化」では、一般の私立高生に加えて、学校教育法134条で「各種学校」と位置づけられる学校に通う生徒(高校卒業後の進学等は除外)にも、同等額を保障するとしているため、その各種学校に当たる「朝鮮高級学校」に通う生徒にも、年12万円程度の「就学支援金」を支給するとしてきた。「朝鮮高級学校」とは、全国に12校を展開し、日本の高等学校に当たるとされているが、故金日成国家主席や金正日委員長の肖像画を掲げ、朝鮮語を常用するなど日本のそれとは大きく異なる。さらには、拉致問題、核兵器やミサイルなどの安全保障問題で、日本に脅威を及ぼし続ける北朝鮮やその手先となり陰に日向に暴れまわる朝鮮総連とのかかわりはきわめて深い。つい先日も、北朝鮮本国から朝鮮学校へ半世紀にわたって総額約460億円の資金提供が明らかになったばかりだ。当然、このような背景がある限り、支援はできない。日本を危機に陥れる国や組織を日本人が援助することほどばかげたことはない。金親子による独裁政権の息の根を一刻も早く止めることは、日本や世界の利益になるばかりか、北朝鮮の人民すべてにとって有益だ。

 また、教育基本法4条に「教育の機会均等」が明記されているため、今後議論の対象になる恐れがあるが、これには当たらないと考える。教育基本法4条には、「ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」とたしかにあるが、主語は「国民」である。とはいえ、仮に朝鮮学校に日本人が通っていたとしたら――純粋な日本人にそんな物好きは皆無だろうが、帰化を済ました朝鮮系日本人ということもあるだろう――、今回の措置は「信条」や「社会的身分」による差別に当たるとされるかもしれない。が、最高裁は塩見訴訟において、「障害福祉年金の支給対象者から在留外国人を除外することは、立法府の裁量の範囲に属する事柄」(最判平元.3.2)としているため、同じく国民の福祉や社会保障的側面を持つこの高校無償化も「立法府の裁量の範囲に属する事柄」と見ることができそうだ。朝鮮学校を無償化の対象とするか否かについて、当の川端達夫文科相は明言を避けているが、中井洽拉致問題担当相の要請が実現されることを願っている。

 中井氏といえば、拉致議連の会長代行を務めるなど民主党議員にしては、拉致問題に積極的であったが、拉致問題担当相就任後には失態も演じている。従来、日本政府は拉致問題を解決とする条件として、「被害者の安全確保と帰国」「拉致事件の真相究明」「実行犯の引き渡し」の3要件を掲げてきた。ところが、政権交代を果たした鳩山由紀夫政権は、これまでの体制を一新するとして、拉致問題対策本部を新設した。その際の閣議決定文書でこの3要件のうち「実行犯の引き渡し」だけをなぜか削除してしまった。北朝鮮から何の約束も履行も得ずして外してしまったのである。これはおそらく「在日韓国人政治犯釈放の要望書」に署名した2閣僚、すなわち菅直人財務相と千葉景子法相が閣内にいるためであろう。ご存知の通り、政治犯29名の釈放を求めたこの釈放要求書のなかには、拉致実行犯の辛光洙(シン・ガンス)が含まれていた。原敕晁(ただあき)さんや横田めぐみさんの拉致に関与したとされているあの辛をみすみす釈放したのである。安倍晋三元首相をして「まぬけ」と言わしめたのも納得だ。このような恣意的理由による削除を含んでいる閣議決定を易々(やすやす)と見過ごしてしまったのが、この中井氏だ。拉致問題に長年携わっておきながら、知らなかったでは済まされない。拉致被害者家族と同じく帰国を待ちわびる国民を欺いたこの前科を議連の要人としてのプライドに賭けて償ってほしい。

 朝鮮学校の除外について中井氏の主張が通れば、朝鮮学校からの反発も予想される。だが、これまで押せば引くのが日本政府であり、朝鮮に対して散々、譲歩を繰り返してきた歴史がある。たとえば、各種学校に通う生徒が大学に進学する際、通常「大学入学資格検定(大検)」の通過を求められるが、同じく「各種学校」であるはずの朝鮮高級学校卒業者には、この検定が免除されるケースが大半だ。しかも、近年では驚くべきことに、私立大学だけでなく、国公立大学でもこのようなのである。

 また、センター試験「外国語」の科目に、「韓国語」が導入されたのもその一例だ。ふつう日本で「第二外国語」としてメジャーな外国語といえば、ドイツ語、フランス語、中国語だろう。これは外国語を主として学ばない私も私の周りでも、概ねこの通りであった。だが、これも彼らの「ごり押し」によって、2002(平成14)年度から導入され、かつ中国語と並んできわめて高得点を獲得できる科目となっている。つまり、英語を「外国語」として受験するわれわれ多くの日本人にとって大変不利に働くわけである。これらは、「差別」を理由に平気で規則を踏み越えようとする彼らにありがちな強情さからくるものであり、われわれ日本人が断固声を上げなければならない由々しき問題のひとつである。

 政府が平気で譲歩する姿勢をとる以上、彼らの「差別」「差別」の大合唱は一向にやまない。外国で当然もつべき「慎み」をもたない彼らには、強硬な態度で向かうよりほかない。人間は元来不満を探す生き物である。「ないものねだり」が人間である。夏目漱石の『猫』のなかで、「消極的の修養」の必要を説いた八木独仙のように、彼らの飽くなき「不平」をそろそろ止めてあげなければならないだろう。
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プロフィール

オーデーベース

Author:オーデーベース
 顔と名前をお見せするその日のために、鄙見を認(したた)めてまいります。市政か、県政か、あるいは国政かわかりませんが、愛する日本と故郷のために勇往邁進することをお誓い申し上げます。

 人ひとりにできることは限られております。あるいは遺産も功績も何ら残せずに終えてしまうかもしれません。ただ、あのころの先人はよくやったと後世に云われたとき、その十把一絡げにされた先人のひとりにでもなれたのなら、それは大変喜ばしいことであります。子孫に少しばかりはわれわれを顧みてもらいたいなどというおこがましい希望はだれにでも起こりうるのではないでしょうか。それは、おおいに欲深い願望なのかもしれません。しかし、先祖を回顧していないわれわれだけが回顧されようなどという考えそれこそがおこがましいものであるにちがいありません。

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