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三宅久之、金美齢、 勝谷誠彦氏のトークショーを聴いて

 政治評論家の三宅久之氏、評論家の金美齢氏、コラムニストの勝谷誠彦氏が18日、名古屋市の愛知県芸術劇場で教育をテーマにトークショーを行った。パネルディスカッションということであったが、三氏の意見が概ね一致していること、三氏とも話したいことを好き勝手に話すこと、何より私の筆致が至らないために、要領を得ない箇所が多々あることをお詫びする。

 ■現代の教育の問題点

 三宅氏は教育の問題は心の荒廃にあるとしながらも、11日に発生した東日本大地震で、親が子を、子が親を捜す姿に家族愛や絆がみられた。また、避難所で配られる配給が女性や子ども、お年寄りといった力の弱いものにまで行き渡ることは外国では考えられない。戦後の日教組教育に憂えていたが、一安心した。

 金氏も東日本大地震に触れ、非常時に日本人のDNAは活性化される。だが、平時は「暖衣飽食」に甘んじ、眠ったまま。問題は教育にあるとし、教育の悪平等と減点主義を批判した。戦後の教育改革で、エリート養成学校であった旧制中学を廃止したことにより、すべての生徒が画一的な教育を受けることになる。たが、学力が高い生徒は退屈に、低い生徒は消化不良に陥る。こうした悪平等を解消するには、学力によるクラス分けを義務教育に導入する必要がある。また、減点主義を採る日本の教育では、突出した能力を持つ生徒の成長を妨げる。生徒の秘める「何か」を引き出すためには加点主義を採用すべきと主張した。

 続いて勝谷氏が「今日は小学生がたくさんいるんだって?」と尋ねたため、進行役の東海テレビアナウンサー・松井美智子さんが会場に「お子さまは手を挙げてもらえますか?」と問いかける。すると、すかさず「お子さまという呼称はやめて」「お子さまとか、患者さまとかいうのはおかしい」とチクリ。17日放送のテレビ朝日系列「報道ステーション」がトップニュースで計画停電を取り上げ、テレビを視聴できない首都圏の子どもの様子を報じたことについて、被災した東北の子どもたちが餓死や凍死の危機に瀕しているなか、何を報道しているのか。「あいつの顔を見ているだけで、被災地は不幸になる」とまくし立てた。

 ■変わりゆく教育

 三宅氏の学生時代は、大東亜戦争の最中にあり、授業よりも空腹に耐えかねる時代だった。そうした時代に行われていた「詰め込み教育」に三宅氏は賛同する。小学校の低学年は「詰め込み教育」に徹するべきとして、「ゆとり教育」の導入を推奨した元文部科学官僚・寺脇研氏を「国賊」と罵った。また、日教組の集会で、教員が「小学校6年にもなって、九九ができないのは困ったもんだ」と述べたことを挙げ、教師の怠慢と一刀両断。「九九ができないということは、まともな社会生活が営めない」ということであると警鐘を鳴らしたうえで、「中東にでもどこでも行ってごらんなさい。商店に行っても、タクシーに乗っても、おつりが過不足なく返ってくるのは日本だけ」であると誇った。

 金氏の時代はみなが公立に通う時代。1学年は7クラスから8クラスで、ふつうの子から不良までいる、いわば社会の縮図であった。そうした学校は「おもしろかった」と金氏はいう。

 勝谷氏はATMでの携帯電話の使用禁止やエスカレーター付近で転倒防止を呼びかけるアナウンスを例に、「この国は『バカ基準』でできている」「そんなやつは自然淘汰されればよい」と斬った。また、社会問題となっている大学生の就職難について、本来なら行くに値しない学生が進学した結果。いま、残っているのはF大学の学生ばかり。大学は行かなければならない人だけ行けばよい。中学や高校を卒業して途を決めた「石川遼くんや田中マーくん(将大)は評価されるのに、スポーツ以外は評価されない」と憤った。進学する必要のない生徒を高校に送り込む民主党の高校無償化を批判した。

 ■社会主義教育の弊害

 三宅氏は小学4年生まで北九州市で過ごしていたが、父親の転勤にともない、東京に転校。当時、都内の中学生のほとんどが都立高校へ進学していたが、美濃部達吉氏が都知事に就くと、状況は一変。高校受験に学校群が設けられ、群外へは自由に進学できなくなる。これにより、日比谷高校などの都立は続落。群外の生徒は有名な私立高へと進むことになる。教育に社会主義は持ち込むべきでない。また、先生と生徒は対等であるとして、教壇を廃止する動きがあることについて、「教えるものと教わるものが対等であるわけがない」。友だち同士のような親子関係を構築する「友だち親子」に対しても、「息子は(三宅氏に対し)『親父』とはいいますけどね、敬語を使わなかったら、怒鳴りますよ」と批判した。

 金氏は自身の子どもが音楽家や画家になるような才能がないことを悟ると、「ふつうに勉強して、ふつうに就職」するよう指導。しかし、「実はこれが意外と難しい」と語る。すると、三宅氏が「金さんの息子はエリート商社マンで、娘は某テレビ局のプロデューサー。謙遜している」と口をはさむ。しかし、金氏は「面接に強いだけ。(自分の子どもが)大人への敬意を知っていたのはたしかで、それが面接官に伝わった」と釈明。また、現代の教育を過保護と指摘し、「過保護では生命力が育たない」と憂慮した。

 これに関し、三宅氏は児童の権利条約を取り上げ、もともとは人身売買や売春、少年兵になることを防止する条約であったはずが、子どもには権利があるという方向に変っていったと同調。同条約は「子どもをスポイルする」と述べた。東京都国立市の市立小学校の卒業式で、日の丸を掲揚したのが生徒の良心を傷つけたとして、校長が生徒に土下座。だが、先生や親が吹き込まない限り、小学生が国旗に反発するはずない。途上国では、独立の象徴として、国旗を作り、そのもとで国歌を唄う。国立市のようなことは土人の国でもない。公立が日教組に支配されている状況を勘案すると、「私立の方がよい」と思わざるをえない。都立国立高校出身の三宅氏は、同市が住民基本台帳ネットワークへの参加を拒否するなど問題を引き起こすたびに、「肩身の狭い思いがする」と嘆いた。また、寺子屋についても言及。長男には親から受け継ぐ田畑があるが、次男以下には何もない。丁稚奉公し、商人として立身出世するのが次男、三男の憧れであった。そうした子どもに勉強の機会を与えたのが寺子屋だ。その結果、当時の知識階級であった武士を除く男子の70%、女子でも15%が文字を読むことができた。左翼は江戸時代を「民衆が武士に押さえつけられた時代」と捉えているが、そのようなことはない。

 ■教育・勉強・学校とは

 勝谷氏は「厳しい学校と規律ある学校は違う。厳しい学校に行くと、嫌な思い出が残るだけ」。規律ある学校は、独立自尊を尊び、やってよいことと悪いことの選別をつけさせるという。来場した小学生らに「規律ある学校」へ行くよう呼びかけた。

 三宅氏は世間のいう「いい学校」を「いい友だちと巡り会える学校」と再定義。よき友に出会うことができるかがその後の人生に大きな影響を与える。

 金氏は人はみな平等としながらも、親は保護する側、子どもは保護される側。先生は保護する側、子どもは保護される側で、役割に違いがある。平等と役割の違いをしっかりと区別するべき。また、かつて父兄に「『なぜ勉強しなければいけないのか?』と子どもに尋ねられたとき、親はどう答えるべきか」と相談された。勉強しなければならない理由は百も千もあるが、勉強しなくてよい理由はひとつもない。勉強とは、ハードウェアにソフトウェアを入れる営為で、質のよいソフトをたくさん入れることにより、入力した際、正確な答えをはじき出す。古今東西、人類が積み重ねた遺産を学べば、すべて自分のものになる。先人が汗と涙と、ときには血を流して、培ったものであり、勉強というプロセスを踏むだけで、無尽蔵な財産を得ることができる。「明日、地球が滅びるかもしれないから、勉強しない」という子どもの言い訳に対しても、いつ、有事になるかわからない台湾に過ごした経験から「明日、地球が滅びようとも、今日、りんごの木を植える」ように、一日一日をきちんと過ごすことが大切と説いた。

 勝谷氏の座右の銘は、ソクラテスの「ただ生きるな、よく生きよ」だという。そのためには、本やマンガを読め。「ただ生きる」だけのテレビやウォークマン、ゲームは国民の財産にならないもので、GDP(国内総生産)に加えるべきでない。テレビはニュースと読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」、それにときどきテレビ朝日系列「ビートたけしのTVタックル」だけでよい。葬儀屋とサラ金から提供を受ける日本テレビ系列「スッキリ!!」は観るな。観たらアホになる、と自らも出演する番組を罵倒。一方、漫画の価値は認め、日本人を「表音文字と表意文字を同時に理解できる民族」とした。

 三宅氏は漫画に反対。最近では、『聖書』から『共産党宣言』まで漫画化されているそうだが、活字を読め。読んだら全部肥やしになる。また、自身と勝谷氏を念頭に「昔から記者、芸者易者は信じるな、といわれている」と自嘲した。
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今年を振り返って

 普天間基地移設問題、鳩山由紀夫前首相の辞任、菅直人内閣の誕生、参院選、菅談話、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件、ロシア大統領の北方領土訪問、北朝鮮による韓国砲撃事件――この1年、月刊誌「WiLL」や「正論」は話題にこと欠かなかった。究極的には「WiLL」や「正論」、それに隔週誌「SAPIO」の書くことがなくなり、潰れてしまえば、一応よい世の中になったといえるだろうが、今年は政府がこれらの延命に手を貸したとしか思われない。

 年明けの通常国会は早晩、行き詰まるだろう。民主党は衆院で過半数の議席を確保しているため、予算を通すことは可能だが、赤字国債の発行などを含む関連法案に関しては可決される目処が立っていない。予算は執行不能に陥る。すると、関連法案の成立と引き替えに解散を、との声が挙がってくる。ここが菅直人政権にとって、ひとつの山場となりそうだ。

 来年は2009衆院選、2010参院選に次いで2011政界再編となる。これらは日本の政治史に激動の3年として刻み込まれることだろう。

櫻井よしこ氏の講演を聴いて(下)

 ■中国とは価値観を共有できない

 櫻井氏はさまざまなシンクタンクの分析を根拠に金正日政権の崩壊は近いと予言したうえで、「太ったブタは地獄へ行くでしょう」と痛快に言い放つ。国民が貧困に喘いでいるなか、あの国の指導者とその息子だけが太っている――これがあの国の品格だとも語った。

 そして、中国は北の統治を望まないにしても、現在のように権力の及ぶ傀儡にとどめておきたい。間違っても、北が韓国主導で統一されたり、アメリカ寄りの政権に移行するようなことがあってはならないと考えている。ゆえに、当初は宥和的だったオバマ政権が台湾に64億円分の武器を売却したり、オバマ大統領がチベット仏教の最高指導者・ダライ・ラマ14世と面会したりとアメリカに徐々に距離を置かれ始めたことを悟ると、北朝鮮による韓国哨戒鑑沈没事件に関する国連安保理決議に反対するなど露骨な抵抗に出る。中国は人道、人権、自由、民主主義、正義を踏みにじってまで、中華思想の子分を守る国である。

 ■中国の長期計画

 1982年、中国は長期戦略を策定する。これによると、2010年、つまり本年までに九州から沖縄、台湾、フィリピン、ボルネオに至る海域を第1列島線と定義し、その内部で主導権を握ることを掲げる。そして、すでに南シナ海のほとんどを手中に収めようとしている。2020年までには、伊豆諸島や小笠原諸島、グアム、サイパン、パプアニューギニアに至るまでを第2列島線とし、太平洋をアメリカと二分するかたちで統治することを志す。

 また、2030年には航空母艦の大艦隊を結成することを目指し、2015年までにその第1段となる3隻の空母を保有するとみられている。こうして最終目標として掲げられたのは2040年、西太平洋とインド洋からアメリカ海軍を追い出すことだ。だが、21世紀は資源の約7割を中東とアフリカに依存するといわれ、ひときわその傾向が強いわが国にとっては、西太平洋とインド洋のシーレーン(航路)の確保が最重要課題となる。

 こうした中国に対して、世界は警戒を強めている。そのひとつがインド洋海軍会議だ。だが、わが日本はこの会議に入っていないばかりか、今年1月には自衛隊がそのインド洋から撤退している。また、オバマ大統領は現下の世界同時不況を受けて、空母を現在の12隻から10隻へ、最終的には9隻にすると発表し、5年後には軍事費を10兆円程度削減して、50兆円以下にしたいとしている。イギリスやフランス、ロシアやインドも空母を保有するが、たいていは中型の空母1隻のみだ。自前の軍隊を持たない日本を取り巻く情勢は厳しさを増すばかりである。

 1996(平成8)年の台湾総統選挙の際、中国は独立派の李登輝総統(当時)、ならびに台湾の国民に対して、軍事的挑発を繰り返した。ところが、この行動がかえって台湾人の対中観を損ねたとみた中国政府は「微笑外交」に転換する。こうして台湾は甘い汁を吸い、経済界はともかく、国民誰もが経済優先を唱え、「絡め取られる」寸前に陥っている。これは尖閣諸島沖での中国漁船による衝突事件を機に反中が高まりつつある日本でも、十分に起こりうることではないだろいか。現にわれわれは、3家族10人が下痢や嘔吐などの中毒症状に冒された中国製冷凍餃子中毒事件をすでにすっかり忘れている。それが証拠に、一時はあれだけ騒いだマスコミも、3月に犯人とされる天洋食品の従業員だった中国人が逮捕された際には、さして話題にならずに終わった。日本人はすぐに忘れてしまう民族性なのだ。ここを捕らえるために、中国政府が「微笑外交」に転じるのはごく自然なことであろう。

 ■大丈夫か、名古屋

 今、中国に一番狙われれている地域は新潟であり、その次はこの名古屋であると断言された。

 2005(平成17)年、中国は北朝鮮の日本海側最北の港・羅津(ラジン)の50年間の租借権を得た。租借とは、通常の賃貸と異なり、そこに行政権が及ぶことを意味する。羅津と中国とは幹線道路でつながっており、中国は歴史上初めてとなる日本海に面する港を確保したことになる。

 そして、この羅津の真向かいに位置するのが新潟だ。新潟には次世代資源として有力なメタンハイドレードや豊かな水、米がある。これらは中国にとって、のどから手がでるほど渇望しているものである。中国政府はいま、その新潟市の中心部にある万代小学校の跡地・5000坪を購入し、総領事館を設置しようとしている。住民への説明も不十分なのにだ。現在、中国総領事館はロシアや韓国と同じく、市中心部の「朱鷺(とき)メッセ」にあり、業務に支障はないという。現に問題を察知した新潟市民の抵抗に遭い、総領事館側が計画凍結を表明したほどだ。

 ジュネーブ条約では、大使館や領事館の建設を相互主義に委ねているため、中国にも日本と同じだけこれらを設置する権利があるとする意見がある。たしかに、日本は中国に6ヶ所の大使館、ならびに領事館を擁しているが、いずれも賃貸借契約を結んで、設置しているだけで、今回の売買契約とは本質的に異なる。また、広大な中国に6ヶ所と狭小な日本に6ヶ所では比較にならない。これをも認めてしまったら、バチカン市国はとんでもないことになる。

 新潟が日本列島の入り口なら、名古屋が出口となってもおかしくない。名古屋を抜ければ、待ちに待った第1列島線の突破である。国家は政治家に任せていてはだめ。国民ひとりひとりが国を動かす覚悟が必要だ。そのうえで、応援すべき政治家の条件として、まともな国軍にするための憲法改正、戦前の歴史を全否定する戦後教育の改革、皇室のための皇室典範改正を掲げていることを挙げ、ともに日本のために闘ってまいりましょう、と力強く呼びかけた。

 ※櫻井氏も警鐘を鳴らす名古屋国有地売却反対署名にご協力いただける方は、こちら(PDFファイル)より署名用紙をダウンロードしていただき、〒457-0014 名古屋市南区呼続5-13-15 吉原電機商会までご郵送ください。

櫻井よしこ氏の講演を聴いて(上)

 4日、名古屋市の日本ガイシフォーラムで開かれたジャーナリスト・櫻井よしこ氏の講演会に出席した。以下は、講演の要旨である。

 自民党政権の腐敗、民主党政権の誕生、日米同盟の動揺――いま、日本が漂流しているのを絶好の機会と捉えた中国は、尖閣諸島や東シナ海の主権をめぐって、次々と畳み掛けてきている。日本にとっては、不気味かつ不愉快な動きにほかならないわけだが、一方で中国のこうした出方は世界の常識ともいえる。

 ■もはや爪を隠さぬ中国

 2009(平成21)年7月、中国の胡錦濤(こきんとう)国家主席が世界各国に駐在する中国大使を召集して、ある訓話を行った。

 もともと小平(とうしょうへい)の時代には「冷静観察、站穏脚踵、沈着応付、韜光養晦、善於守拙、絶不当頭」、すなわち「冷静に観察せよ、己れの立場を固めよ、冷静に対処せよ、能力を隠し好機を待て、控えめな姿勢を得手とせよ、突出した地位を求めるな」という「24字戦略」を掲げてきた。日本風にいえば「能ある鷹は爪を隠す」、世界、とりわけアメリカに対しては低姿勢を保ち、軍事力や経済力をひたすら強化せよ、ということである。

 こうして中国は、公表しているだけでも21年連続2ケタ増、21年前の22倍となる15兆円もの多額の軍事予算を計上する軍事大国となる。ちなみに日本の防衛予算は4.7兆円、そのなかには在日米軍に対する「思いやり予算」等も含まれているため、実際には4.3兆円程度であるという。周りに脅威を抱えていない中国がいかに膨大な軍事費を拠出しているかおわかりだろう。

 また、経済成長も著しい。このほど、日本を抜いて世界第2の経済大国となった中国だが、ここには彼ららしいあるからくりが存在する。たとえば、川崎重工業の新幹線受注問題だ。川崎重工はJR東海の反対を押し切り、新幹線を輸出した。当初は相当数の輸出につながると見ていた川崎重工だったが、結局、受注は12両にとどまる。それどころか現在、中国の新幹線産業は、国内はもとより、海外に供給するまで急成長を遂げているという。なぜか。川崎重工から輸入した新幹線をくまなく分解して、精密に研究。日本の技術をすっかり盗んでしまったのである。櫻井氏は川崎重工の惨憺たる失策を嘆いたうえで、こう述べる。「中国の技術は、窃盗によって成り立っている」。

 こうして軍事・経済両面で力を蓄えてきた中国がいよいよある決断を下す。前述の胡氏の訓話だ。もう「爪を隠す」必要はない――。

 ■結束するASEANと何もしない民主党

 4月7日から9日にかけて、中国が東シナ海において軍事演習を実施した際、監視に訪れていた海上自衛隊の護衛艦に対して、中国海軍艦艇の艦載ヘリコプターが異常接近する事件が発生する。その後も核弾頭を搭載した艦船や潜水艦2隻を含む10隻の中国軍艦隊が沖縄本島と宮古島の海域をわが物顔で航行するなど無礼な振る舞いを繰り返す。しかし、いうまでもなく東シナ海は中国の海でない。同海域に面する日本にも等しく確保すべき権益があるのだ。

 中国政府はこうした拡張路線とともにいま、「3戦」を強めるよう徹底しているという。「3戦」とは、国内外の世論を形成する「世論戦」、1992(平成4)年に制定した領海法を含む「法律戦」、軍事力を見せつける「心理戦」のことである。そして、いざとなれば「3戦」を踏み越えて、実力行使に出てくる国である。これは大東亜戦争以後、戦争によって領土を拡大した唯一の国であることからも想像に難くない。

 それでも、他国は国家の尊厳を懸けて対峙している。7月、東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラムにおいて、南シナ海の西沙諸島や南沙諸島の領有をめぐって長年、中国と争ってきたASEAN各国が中国批判を繰り広げたのだ。そして、このあと演説に立ったアメリカのクリントン国務長官は、南シナ海の航行の自由の重要性とアジアへの米国の関心の強さを語ったうえで、“America is Back”と力強く語った。これは先に開かれたアジア安全保障会議で、ゲーツ国防長官がアジアへのコミットととして「いかなる脅威にも対処可能な最大限の軍事力の配備」すると述べたことを裏づける発言だが、東南アジアにおけるアメリカの存在意義が確認されたのだった。

 実はこの地域フォーラムのひと月ほど前、インドネシアと中国は軍事衝突ぎりぎりの攻防を繰り広げていた。中国漁船による領海侵犯に悩まされてきたベトナムが漁船の拿捕に踏み切る。しかし、中国はこれに猛反発。白いペンキを塗り、漁船に似せた軍艦をベトナムに向け進軍させ、船員の解放を迫ってきた。さながら「軍艦外交」を想起させる。対するベトナム側も海軍艦船を派遣するのだが、中国の強大な海軍力を前に怯んでしまう。ところが、翌日になってもあいかわらず漁船は現れる。そのため、ベトナムは再度、漁民の拿捕に至る。結局、白塗りの軍艦を送られ、船員を釈放してしまうのだが、それでもベトナムが意地を見せてくれた瞬間だった。ASEAN諸国はこうした出来事を経てきただけに相当な覚悟を持って会議に臨んだようだ。

 翻って、日本の民主党政権はどうだろうか。9月17日、東シナ海が濁っている、すなわち中国が東シナ海でのガス田掘削を再開したことを朝日・読売両紙が報じる。自民党はただちに党外交部会に資源エネルギー庁の石油・天然ガス課長を招いて、事情を聴取。共同開発で合意していたはずのガス田「白樺」(中国名・春暁)で、中国が単独掘削を再開した「可能性が高い」ことが明らかになる。同月29日にも、同様の濁りが確認されたが、日本のメディアがこれを報道することはない。この疑惑を知った櫻井氏は、前原誠司外相に電話で直接、その真贋を訊ねたというが、「本当の掘削かどうか調査中」だと突っぱねられる。以後もこのことに関して、政府はおろか、民主党さえ抗議した形跡がない。要するに、何もしない政権なのだ。

阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書、1996)

 著者は日本人の「無宗教」を考えるうえで、「教祖と教典、それに教団の三者」を持つ「創唱宗教」とそれらを持たない「自然宗教」とに分類することが重要だという。具体的には、キリスト教や仏教が前者に、神道が後者に当たる。そして、日本人が標榜する「無宗教」とは、欧米人がしばしば懐疑の目を投げかける「無神論」なのではなく、「創唱宗教」に対する無関心と「自然宗教」の信奉を意味するのだという。

 「盛者必衰」「生者必滅」「会者定離」――いわゆる「無常」の現世である「憂き世」のなかに颯爽と登場した法然や親鸞の教えは、「六道輪廻(註:天、人間、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄を転生すること)の苦しみから開放されたい!」という人々の切なる願いをただ念仏を唱える(専修念仏)ことによって叶えられるとして、文字通り、信じられていたが、中世以降、次第に経済力をつけていった庶民は、どうせ答えを見出しうることのない生や死といった形而上学的なことに思いをめぐらせるよりも、いっそ「無常」の現世を謳歌しようではないか、という「浮き世」が流行した。現に「浮き世」の代名詞・井原西鶴の人生観は、「それまでの刹那的、無計画的な享楽を否定して計画的に人生を楽しむこと」「『浮き世』での実在感を数量に求めたこと」のふたつに凝縮されるという。

 そして、この「浮き世」を支えたものこそが「葬式仏教」だったと著者は強調する。もともと仏教がインドのみにあった時代には、仏教の死者祭祀ははなはだ簡素なものだったが、儒教の盛んな中国で「孝」の徳が加わったことにより、先祖崇拝儀礼へと変貌を遂げた。これを取り入れ、独特の進化を加えていったのが「葬式仏教」なのだ。古代からの神道はこの世、「葬式仏教」はあの世という日本独自の「棲み分け」の誕生である。

 しかし、明治以来の「神道とは、宗教ではなく国家の『祭祀』」という「神道非宗教論」によって、「身近な存在からはじまって、だんだんと見知らぬ、しかし霊威の強い神仏へと広がって行く」という特殊と普遍の関係が薄れ、臣民が神道の本質を受容していく過程のなかで、変わらずにあり続けた「葬式仏教」がいっそう固定化されていく。国家存亡の危機に瀕していた当時の指導者が天皇と神道とを急速に近づけたことは、ある意味ではやむをえなかったことと振り返るが、そのうえで一段落したいま、一度その有り様を見直す必要があるといえるだろう。

 著者の主張でいくつか気になったのは、津地鎮祭訴訟の「社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められない」(最大判昭52.7.13)という判例を神道を宗教でないとみなしているとして批判したり、大日本帝国憲法第28条に「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と安寧秩序の保持と臣民の義務の遵守を条件に信教の自由を認めたことに対して反発していること。前者は政教分離の立法目的を勘案しない愚ろかな考えであり、後者は宗教的行為が法によって一定の制限を受けるのは当然とする近代法を弁えていない。

 いうまでもないことだが、宗教とは「創唱宗教」であれ「自然宗教」であれ、その信仰が個人の内面にとどまっているということはありえない。もちろん、その強弱は宗教によって異なるが、それぞれの教説を他の人々に広めようとすることこそ、宗教の生命なのである。

 宗教は、「外」や「外形」に深くかかわることによってはじめて、真の宗教となるのであり、宗教が個人の内面にとどまると主張するのは、宗教の本質を知らない人のいうことか、あるいは、今までに紹介してきた、政治家たちの統治上の関心から生じた宗教観の受け売りにしかすぎないであろう。


 私が著者のこの主張には深く首肯するからして、著者はどうも明治政府が神道以外のあらゆる宗教行為の発露を禁じていたと誤解しているように思えてならない。
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プロフィール

オーデーベース

Author:オーデーベース
 顔と名前をお見せするその日のために、鄙見を認(したた)めてまいります。市政か、県政か、あるいは国政かわかりませんが、愛する日本と故郷のために勇往邁進することをお誓い申し上げます。

 人ひとりにできることは限られております。あるいは遺産も功績も何ら残せずに終えてしまうかもしれません。ただ、あのころの先人はよくやったと後世に云われたとき、その十把一絡げにされた先人のひとりにでもなれたのなら、それは大変喜ばしいことであります。子孫に少しばかりはわれわれを顧みてもらいたいなどというおこがましい希望はだれにでも起こりうるのではないでしょうか。それは、おおいに欲深い願望なのかもしれません。しかし、先祖を回顧していないわれわれだけが回顧されようなどという考えそれこそがおこがましいものであるにちがいありません。

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